ベクトルの定義

この章では、平面(または空間)上のベクトルについて考察します。

はじめに、有向線分を用いてベクトルを幾何的に定義します。ここで定義するベクトルを、後に定義する抽象的なベクトルと区別して、特に幾何ベクトルといいます。

ベクトルの定義


定義 1.1(幾何ベクトル)

$A, B$ を平面(または空間)上の異なる $2$ 点とする。有向線分 $AB$ と同じ長さと向きを持つ有向線分全体の集合を、有向線分 $AB$ の定めるベクトル($\text{vector}$)といい $(\, \overrightarrow{AB} \,)$ と表す。



解説

有向線分

有向線分($\text{oriented}$ $\text{segment}$)とは、線分に向きの概念を加えたものです。

平面(または空間)上に異なる $2$ 点 $A, B$ が与えられたとすると、これにより線分 $AB$ が定まります。線分は向きを持たない概念であり、線分 $AB$ と線分 $BA$ は同じ数学的対象です。

そこで、$A, B$ のうち一方を始点($\text{initial}$ $\text{point}$)、もう一方を終点($\text{end}$ $\text{point}$)とすることで、始点から終点への向きを定めます。これにより、$A$ から $B$ への向きを持つ線分と $B$ から $A$ への向きを持つ線分とを区別して扱うことができます。

$A$ を始点、$B$ を終点とする線分 $AB$ を有向線分 $AB$ といい $\overrightarrow{AB}$ と表します。有向線分 $AB$ は次のように、始点 $A$ から終点 $B$ に向かう矢印として図示されます。

有向線分によるベクトルの定義

有向線分の長さ

有向線分 $AB$ の長さとは、線分 $AB$ の長さのことです。

$2$ つの有向線分 $\overrightarrow{AB}$ と $\overrightarrow{A^{\prime}B^{\prime}}$ が同じ長さを持つということは、線分 $AB$ と $A^{\prime}B^{\prime}$ が同じ長さであるということです。これは線分 $AB$ と $A^{\prime}B^{\prime}$ が合同であるということに他ならず、このとき $AB \equiv A^{\prime}B^{\prime}$ が成り立ちます。

したがって、 ベクトルの定義にある「同じ長さを持つ有向線分」は、線分としての長さが同じである有向線分を指していると理解できます。

有向線分の向き

$2$ つの有向線分が同じ向き、逆の向きであることを次のように定義します。

すなわち、$2$ つの有向線分 $\overrightarrow{AB}$ と $\overrightarrow{A^{\prime}B^{\prime}}$ があるとして、$\overrightarrow{A^{\prime}B^{\prime}}$ を平行移動させて $A$ と $A^{\prime}$ を重ねたとき、$B^{\prime}$ が直線 $AB$ 上にあり、直線 $AB$ 上において($\text{i}$)$B$ と $B^{\prime}$ が $A$ に対して同じ側にあるとき $\overrightarrow{AB}$ と $\overrightarrow{A^{\prime}B^{\prime}}$ は同じ向きであるといい、($\text{ii}$)$B$ と $B^{\prime}$ が $A$ に対して反対側にあるとき $\overrightarrow{AB}$ と $\overrightarrow{A^{\prime}B^{\prime}}$ は逆の向きであるといいます。

したがって、 ベクトルの定義にある「同じ向きを持つ有向線分」とは、平行移動により始点を重ねたとき、それぞれの始点と終点が同一直線状にあり、始点に対して終点が同じ側にあるような有向線分を指しています。

同じ向きを持つ有向線分の例

また、同様にして、平行移動により始点を重ねたとき、それぞれの始点と終点が同一直線状にあり、始点に対して終点が逆側にあるような有向線分を「逆の向きを持つ有向線分」といいます。

逆の向きを持つ有向線分の例

当然ながら、平行移動により始点を重ねたときにそれぞれの始点と終点が同一直線状にない場合、$2$ つの有向線分は同じ向きでも逆の向きでもありません。

同じ向きでも逆の向きでもない有向線分の例 同じ向きでも逆の向きでもない有向線分の例

ベクトルは有向線分の集合

定義よりベクトルは「同じ長さと向きを持つ有向線分全体の集合」です。別のいい方をすれば、「平行移動により重なる有向線分を $1$ つにまとめたもの」がベクトルであるということです。

例えば、$A$ と $A^{\prime}$ を異なる点として、有向線分 $\overrightarrow{AB}$ と $\overrightarrow{A^{\prime}B^{\prime}}$ が同じ長さと向きを持つ場合を考えます。このとき、$\overrightarrow{AB}$ と $\overrightarrow{A^{\prime}B^{\prime}}$ は有向線分としてはそれぞれ異なりますが、ともに同じ($1$ つの)ベクトルを表しています。すなわち、次が成り立ちます。

有向線分によるベクトルの定義

$$ \begin{split} \overrightarrow{AB} &\neq \overrightarrow{A^{\prime}B^{\prime}} \\ (\, \overrightarrow{AB} \,) &= (\, \overrightarrow{A^{\prime}B^{\prime}} \,) \\ \end{split} $$

有向線分は平面(または空間)に対して固定されていますが、ベクトルは平面(または空間)上を自由に平行移動できます。このような意味から、有向線分は束縛ベクトルや固定ベクトルなどと呼ばれることもあります。

ベクトルの表記法

有向線分を用いた表記

平面(または空間)上に異なる $2$ 点 $A, B$ が与えられたとき、$A, B$ により定まる有向線分を $\overrightarrow{AB}$ と表し、$A, B$ により定まるベクトルを $(\, \overrightarrow{AB} \,)$ と表します。

教科書により、$\overrightarrow{AB}$ をベクトルの表記とするものもありますが、ここでは、有向線分とベクトルをよく区別するために、このような表記法をとります。この表記法は [1] などで用いられています。

小太文字による表記

平面(または空間)上のベクトルは、小太文字を用いて単に $\bm{a}$ などとも表します。上記の 考察のとおり、ベクトルは長さと向きを合わせた概念であり、平面(または空間)上の特定の点に縛られません(自由に平行移動できる)。したがって、平面上の特定の点($A$ や $B$)を用いずに、$1$ つの文字で表しても問題ありません。

$$ \begin{gather*} \bm{a} = (\, \overrightarrow{AB} \,) \end{gather*} $$

ベクトルの長さの表記

ベクトル $\bm{a}$ の長さを $\lVert \bm{a} \rVert$ と表します。

有向線分 $AB$ により定まるベクトルを $\bm{a} = (\, \overrightarrow{AB} \,)$ とすれば、ベクトル $\bm{a}$ の長さとは、当然ながら、$\bm{a}$ を定める有向線分 $AB$ の長さであり、したがって線分 $AB$ の長さに他なりません。

抽象的なベクトルと幾何ベクトル

平面(または空間)上のベクトルは(線型代数学の主な考察対象である)抽象的なベクトルの $1$ つです。

抽象的なベクトルについては ベクトル空間の章で改めて定義しますが、簡単にいえば、和とスカラー倍の演算が定義されている集合(ベクトル空間)の元をベクトルといいます。線型代数学を通して、単に「ベクトル」といったときは抽象的なベクトルを指す場合がほとんどです。

したがって、抽象的なベクトルに対して、平面(または空間)上のベクトルを特に幾何ベクトル($\text{geometric}$ $\text{vector}$)といいます。


基本的で特別なベクトル

次に、零ベクトルと逆ベクトルといった特別なベクトルを定義します。


定義 1.2(零ベクトルと逆ベクトル)

長さが $0$ となるようなベクトルを零ベクトル($\text{zero}$ $\text{vector}$)といい $\bm{0}$ と表す。また、任意のベクトル $\bm{a}$ に対して、$\bm{a}$ と同じ長さで向きが逆となるようなベクトルを $\bm{a}$ の逆ベクトル($\text{inverse}$ $\text{vector}$)といい $- \bm{a}$ と表す。



解説

零ベクトル

零ベクトルとは長さが $0$ で任意の向きを持つベクトルです。

上記の 定義より明らかに次が成り立ちます。

$$ \lVert \, \bm{0} \, \rVert = 0 $$

また、 ベクトルの定義にしたがって考えれば、零ベクトルは、始点と終点が等しい有向線分により定まるベクトルと捉えることもできます。すなわち、平面(または空間)上の任意の点 $A$ に対して、次が成り立ちます。

$$ \bm{0} = (\, \overrightarrow{AA} \,) $$

逆ベクトル

ベクトルの定義にしたがって考えれば、ベクトル $\bm{a}$ とその逆ベクトル $- \bm{a}$ は次のような関係にあります。

ベクトルと逆ベクトル

あるベクトルとその逆ベクトルは、それぞれのベクトルを定める有向線分の始点と終点を入れ替えた関係にあります。すなわち、平面(または空間)上に異なる $2$ 点 $A, B$ があるとき、$A$ を始点 $B$ を終点とする有向線分 $AB$ による定まるベクトルを $\bm{a} = (\, \overrightarrow{AB} \,)$ とすると、$B$ を始点 $A$ を終点とする有向線分 $BA$ による定まるベクトルが $\bm{a}$ の逆ベクトルであり、 $- \bm{a} = (\, \overrightarrow{BA} \,)$ となります。


まとめ

  • 有向線分とは、線分に向きの概念を加えたもの。
    • $A, B$ を平面(または空間)上の異なる $2$ 点として、$A$ を始点、$B$ を終点とする線分 $AB$ を有向線分 $AB$ といい $\overrightarrow{AB}$ と表す。
  • ベクトルとは、平行移動により重なる有向線分を $1$ つにまとめたもの。
    • 有向線分 $AB$ と同じ長さと向きを持つ有向線分全体の集合を、有向線分 $AB$ の定めるベクトルといい $(\, \overrightarrow{AB} \,)$ と表す。
  • 長さが $0$ となるようなベクトルを零ベクトルといい $\bm{0}$ と表す。
  • 任意のベクトル $\bm{a}$ に対して、$\bm{a}$ と同じ長さで向きが逆となるようなベクトルを $\bm{a}$ の逆ベクトルといい $- \bm{a}$ と表す。

参考文献

[1] 齋藤正彦. 線型代数入門. 東京大学出版会. 1966.
[2] 永田雅宣 他. 理系のための線型代数の基礎. 紀伊國屋書店. 1986.
[3] 川久保勝夫. 線形代数学 [新装版]. 日本評論社. 2010.
[4] 松坂和夫. 線型代数入門 [新装版]. 岩波書店. 2018.
[5] 三宅敏恒. 線形代数学 初歩からジョルダン標準形へ. 培風館. 2008.
[6] S. Lang. Linear Algebra Third Edition. Springer. 1987.
[7] T. Miyake. Linear Algebra From the Beginnings to the Jordan Normal. Springer. 2022.
[8] 雪江明彦. 代数学 $1$ 群論入門. 日本評論社. 2010.
[9] 雪江明彦. 代数学 $2$ 環と体とガロア理論. 日本評論社. 2010.
[10] 桂利行. 代数学 $\text{I}$ 群と環. 東京大学出版会. 2004.
[11] 松坂和夫. 代数系入門. 岩波書店. 1976.
[12] 高木貞治. 代数学講義 [改訂新版]. 共立出版. 1965.
[13] S. Lang. Algebra Revised Third Edition. Springer. 2002.
[14] M. Artin. Algebra Second Edition. Pearson Education Limited. 2014.
[15] 青本和彦 他. 数学入門辞典. 岩波書店. 2005.


初版:2023-08-02   |   改訂:2024-11-08