商ベクトル空間の準備

あるベクトル空間とその部分空間から構成される商ベクトル空間を定義します。

ここでは、商ベクトル空間を定義するための準備として、部分空間により定められる集合を定義するとともに、関連する定理を示します。

部分空間により定められる集合


定義 4.11(部分空間により定められる集合)

$V$ をベクトル空間、$W$ を $V$ の部分空間とする。$\bm{v} \in V$ に対して、$\bm{v} + W$ を次のように定義する。

$$ \bm{v} + W = \{ \, \bm{v} + \bm{w} \mid \bm{w} \in W \, \} $$



端的にいえば、$\bm{v} + W$ は $V$ の部分集合です。より詳しくは、$V$ の元 $\bm{v}$ と $V$ の部分集合 $W$ により定められる $V$ の部分集合であるといえます。すなわち、$\bm{v} + W$ は、$\bm{v} \in V$ と任意の $\bm{w} \in W$ の和により表される $\bm{v} + \bm{w} \in V$ の集合です。具体的に、特定の $V$ の元 $\bm{v}$ に対して、$\bm{v} + W = \{ \, \bm{v} + \bm{w}_1, \, \bm{v} + \bm{w}_2, \, \bm{v} + \bm{w}_3, \, \cdots \, \}$ と考えると、$\bm{v} + W$ があくまで部分集合であることがイメージできます。もちろん、ここで $\bm{w}_1, \bm{w}_2, \bm{w}_3, \cdots \in W$ であり、$\bm{v} + \bm{w}_1, \, \bm{v} + \bm{w}_2, \, \bm{v} + \bm{w}_3, \, \cdots \in V$ となります。

またここで、和を表す記号 “$+$” の使い方が拡張されている点にも注意が必要です。上の定義において、 左辺と右辺で “$+$” の使い方(または解釈)が異なります。右辺にある $\bm{v} + \bm{w}$ の “$+$” は、これまで通り、ベクトルの和(すなわち、ベクトル空間の定義において導入した和)を表しています。一方で、左辺にある $\bm{v} + W$ の “$+$” はこれと異なります。$\bm{v}$ はベクトル($V$ の元)であり、$W$ は $V$ の部分空間ですので、$\bm{v} + W$ の “$+$” は、ベクトル空間の定義において導入した和を表す記号として用いられていません。この点を混同しないように注意する必要があります。$\bm{v} + W$ の “$+$” は、ベクトルの和の演算を示しているわけではなく、あくまで $\bm{v}$ と任意の $\bm{w} \in W$ の和 $\bm{v} + \bm{w} \in V$ の集合 $\bm{v} + W = \{ \, \bm{v} + \bm{w} \mid \bm{w} \in W \, \}$ を表す記号として用いられていると理解すれば、無用な混乱を避けることができます。

あるベクトル空間の元とその部分空間により定義されるこのような部分集合は、代数学においては、剰余類($\text{residue class}$)(この場合は、特に加群の剰余類)などに一般化されます。



定理 4.43(部分空間により定められる集合)

$V$ をベクトル空間として、$W$ を $V$ の部分空間とする。$\bm{x}, \bm{y} \in V$ に対して次の $2$ つの条件は同値である。
($1$)$\bm{x} + W = \bm{y} + W$
($2$)$\bm{x} - \bm{y} \in W$



この定理は、上に定義した $V$ の部分集合 $\bm{v} + W$ が満たす基本的な性質を示すものです。これは、次項において、商ベクトル空間を $\text{well-defined}$ に(矛盾なく)定義するために必要となります。



証明

$\bm{v} \in V$ について、$\bm{v} \in \bm{x} + W$ ならば $\bm{v} = \bm{x} + \bm{w}$ となるような $\bm{w} \in W$ が存在する。いま、$\bm{x} + W = \bm{y} + W$ であるとすると、$\bm{v} \in \bm{x} + W \; \Rightarrow \; \bm{v} \in \bm{y} + W$ であるから、$\bm{v} = \bm{y} + \bm{w}^{\prime}$ となるような $\bm{w}^{\prime} \in W$ が存在する。このとき、

$$ \bm{v} = \bm{x} + \bm{w} = \bm{y} + \bm{w}^{\prime} \; \Leftrightarrow \; \bm{x} - \bm{y} = \bm{w}^{\prime} - \bm{w} $$

であるから、$\bm{x} - \bm{y} \in W$ となる。逆に、$\bm{x} - \bm{y} \in W$ であるとすると、$\bm{x} - \bm{y} = \bm{w} \in W$ となるような $\bm{w} \in W$ が存在する。また、$\bm{v} \in \bm{x} + W$ とすると、$\bm{v} = \bm{x} + \bm{w}^{\prime}$ となるような $\bm{w}^{\prime} \in W$ が存在し、
$$ \bm{v} = \bm{x} + \bm{w}^{\prime} = (\bm{y} + \bm{w}) + \bm{w}^{\prime} = \bm{y} + (\bm{w} + \bm{w}^{\prime}) $$

であるから、$\bm{v} \in \bm{y} + W$ となる。よって、$\bm{x} + W \sub \bm{y} + W$ である。また、$\bm{v}^{\prime} \in \bm{y} + W$ とすると、同様に $\bm{v}^{\prime} \in \bm{x} + W$ となり、$\bm{y} + W \sub \bm{x} + W$ である。したがって、$\bm{x} + W = \bm{y} + W$ が成り立つ。$\quad \square$



証明の骨子

$\bm{x} + W$ と $\bm{y} + W$ をそれぞれ集合としてみて、$\bm{x} + W = \bm{y} + W \; \Leftrightarrow \; (\, \bm{x} + W \sub \bm{y} + W \,) \land (\, \bm{y} + W \sub \bm{x} + W \,)$ であることを用いて証明します。

  • ($1$)$\Rightarrow$($2$)

    • ($1$)の仮定を書き下します。
      • $\bm{v} \in V$ として、$\bm{v} \in \bm{x} + W$ ならば $\bm{v} = \bm{x} + \bm{w}$ となるような $\bm{w} \in W$ が存在するといえます。これは、部分集合 $\bm{x} + W$ の定め方によります。
      • いま、$\bm{x} + W = \bm{y} + W$ であると仮定していますので、$\bm{v} \in \bm{x} + W \; \Rightarrow \; \bm{v} \in \bm{y} + W$ が成り立ちます。すなわち、$\bm{x} + W$ の元は必ず $\bm{y} + W$ の元でもあるということです。(もちろん、$\bm{v} \in \bm{y} + W \; \Rightarrow \; \bm{v} \in \bm{x} + W$ も成り立ちます。)
      • したがって、$\bm{v} = \bm{y} + \bm{w}^{\prime}$ となるような $\bm{w}^{\prime} \in W$ が存在するといえます。
    • $\bm{x} - \bm{y}$ が $W$ の元であることを示します。
      • $\bm{v}$ を $\bm{x} + W$ と $\bm{y} + W$ それぞれの元として表せましたので、$\bm{x} - \bm{y}$ の形を作ります。

        $$ \bm{v} = \bm{x} + \bm{w} = \bm{y} + \bm{w}^{\prime} \; \Leftrightarrow \; \bm{x} - \bm{y} = \bm{w}^{\prime} - \bm{w} $$

      • 上式の右辺 $\bm{w}^{\prime} - \bm{w}$ は $W$ の元であるので、左辺 $\bm{x} - \bm{y}$ も $W$ の元でなければなりません。したがって、$\bm{x} - \bm{y} \in W$ が成り立ちます。以上で($1$)$\Rightarrow$($2$)示されました。

  • ($1$)$\Leftarrow$($2$)

    • ($2$)の仮定を書き下します。
      • $\bm{x} - \bm{y} \in W$ ということは、$\bm{x} - \bm{y} = \bm{w} \in W$ となるような $\bm{w} \in W$ が存在するということといえます。
      • このとき、$2$ つの集合 $\bm{x} + W$ と $\bm{y} + W$ が等しいことを示すために、$\bm{x} + W \sub \bm{y} + W$ かつ $\bm{y} + W \sub \bm{x} + W$ が成り立つことをそれぞれ示します。
    • $\bm{x} + W \sub \bm{y} + W$ であることを示します。
      • $\bm{v} \in \bm{x} + W$ とすると、$\bm{v} = \bm{x} + \bm{w}^{\prime}$ となるような $\bm{w}^{\prime} \in W$ が存在します。このことと、($2$)の仮定 $\bm{x} - \bm{y} = \bm{w}$ を合わせて考えれば、$\bm{v}$ は次のように表せます。

        $$ \bm{v} = \bm{x} + \bm{w}^{\prime} = (\bm{y} + \bm{w}) + \bm{w}^{\prime} = \bm{y} + (\bm{w} + \bm{w}^{\prime}) $$

      • ここで、$\bm{w} + \bm{w}^{\prime}$ は明らかに $W$ の元であるので、$\bm{v}$ は $\bm{y}$ と $W$ の元の和として表せることになり、したがって $\bm{v} \in \bm{y} + W$ であり、$\bm{x} + W \sub \bm{y} + W$ となります。

    • $\bm{y} + W \sub \bm{x} + W$ であることを示します。
      • 上の考察において $\bm{x}$ と $\bm{y}$ を入れ替えれば、まったく同様に $\bm{y} + W \sub \bm{x} + W$ を示すことができます。
      • すなわち、$\bm{v}^{\prime} \in \bm{y} + W$ ならば $\bm{v}^{\prime} \in \bm{x} + W$ となり、$\bm{y} + W \sub \bm{x} + W$ となります。
    • 以上から、$\bm{x} + W \sub \bm{y} + W$ かつ $\bm{y} + W \sub \bm{x} + W$ が成り立ち、よって、$\bm{x} + W = \bm{y} + W$ が成り立ちます。すなわち($1$)$\Leftarrow$($2$)示されました。

まとめ

  • $V$ をベクトル空間、$W$ を $V$ の部分空間とする。$\bm{v} \in V$ に対して、$\bm{v} + W$ を次のように定義する。$\bm{v} + W$ は、$\bm{v} \in V$ と任意の $\bm{w} \in W$ の和により表される $\bm{v} + \bm{w} \in V$ の集合であり、$V$ の部分集合である。

    $$ \bm{v} + W = \{ \, \bm{v} + \bm{w} \mid \bm{w} \in W \, \} $$

  • $\bm{x}, \bm{y} \in V$ に対して次の $2$ つの条件は同値である。
    ($1$)$\bm{x} + W = \bm{y} + W$
    ($2$)$\bm{x} - \bm{y} \in W$


参考文献

[1] 齋藤正彦. 線型代数入門. 東京大学出版会. 1966.
[2] 永田雅宣 他. 理系のための線型代数の基礎. 紀伊國屋書店. 1986.
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[4] 松坂和夫. 線型代数入門 [新装版]. 岩波書店. 2018.
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[6] 雪江明彦. 代数学 $1$ 群論入門. 日本評論社. 2010.
[7] 雪江明彦. 代数学 $2$ 環と体とガロア理論. 日本評論社. 2010.
[8] 桂利行. 代数学 $\text{I}$ 群と環. 東京大学出版会. 2004.
[9] 松坂和夫. 代数系入門. 岩波書店. 1976.
[10] 高木貞治. 代数学講義 [改訂新版]. 共立出版. 1965.
[11] S. Lang. Algebra Revised Third Edition. Springer. 2005.
[12] M. Artin. Algebra Second Edition. Pearson Education Limited. 2014.
[13] 青本和彦 他. 数学入門辞典. 岩波書店. 2005.

初版:2023-03-25   |   改訂:2024-08-27