行標準形
具体的に与えられた行列は、基本変形によって(より扱いやすい)標準化された形に変形できます。
ここでは、行標準形と呼ばれる行列の形を定義するとともに、任意の行列が行基本変形と列の入れ替えにより行標準形に変形できることを示します。
行標準形は簡約階段行列を見やすくしたものです。簡約階段行列と同様に、連立一次方程式の解法や逆行列の計算に利用されます。簡約階段行列と異なり、一意性(行列の形が一意に定まること)が失われている点に注意が必要です。
行標準形
定義 5.5(行標準形)
次のような行列を行標準形という。ここで、$E_{r}$ は $r$ 次の単位行列、$\ast_{r, n - r}$ は $(r, n - r)$ 型の任意の行列を表す。
解説
行標準形の形
行標準形は、次のような形の行列になります。
ここで、$O$ は成分がすべて $0$ であるブロックを表しており、$\ast$ は右上のブロックが任意の行列であることを表しています。
$(1, 1)$ 成分から対角線上に並ぶ $1$ の個数 $r$ はもとの行列 $A$ の階数に等しくなります(定理 5.10(基本変形と階数))。また、$r = \text{rank} \, A \leqslant m, n$ である(定理 4.59(列階数と行階数))ことから、対角線上の $1$ が必ず右下端に達するとは限りません。
行標準形への変形
定理 5.14(行標準形)
任意の $(m, n)$ 型行列 $A$ は、行基本変形と列の入れ替えの操作を繰り返すことで、行標準形に変形することができる。ここで、$r$ は $A$ の階数を表す。
解説
行標準形への変形可能性
定理 5.14は、任意の行列が行標準形に変形できるということを示しています。
行標準形と階数
定理 5.14の主張には、行標準形の対角線上に並ぶ $1$ の個数がもとの行列の階数($r$)に一致することも含まれています。このことは、基本変形により行列の階数が不変であること(定理 5.10(基本変形と階数))より明らかといえます。
行標準形は一意に定まらない
与えられた行列に対して、行標準形の対角線上に並ぶ $1$ の個数は一意に定まりますが、行標準形の形は一意に定まりません。
このことは、例えば、次のようにして確かめられます。ある行列 $A$ を変形することで行標準形 $B$ を得られたとして、$B$ の第 $(r + 1)$ 列以降の $2$ つの列を入れ替えることで得られる行列を $B^{\prime}$ とすれば、$B^{\prime}$ も行標準形であり、かつ $B \neq B^{\prime}$ が成り立ちます。すなわち、ある行列 $A$ に対して、$2$ つの異なる行標準形 $B, B^{\prime}$ が存在する、ということになります。
したがって、基本変形の仕方によって得られる行標準形は異なるが、いずれの行標準形でも対角線上に並ぶ $1$ の個数は等しくなる、ということがいえます。
簡約階段行列と行標準形の違い
一意性
一意性に関して、簡約階段行列と行標準形は次のように異なります。
- 簡約階段行列:階段の段数($0$ でない成分を持つ行の数)も行列の形も一意に定まる。
- 行標準形:対角線上に並ぶ $1$ の個数($\sim$ $0$ でない成分を持つ行の数)は一意に定まるが、行列の形は一意に定まらない。
すなわち、行標準形を得るために、簡約階段行列に対して列の入れ替えの操作を加えることで、行列の形が一意に定まるという性質を失います。
連立一次方程式の解法への応用
行標準形は簡約階段行列を見やすくしたものです。
簡約階段行列に対して列の入れ替えの操作を行ったものが行標準形であり、それぞれを列ベクトルにより表せば、簡約階段行列と行標準形を成す列ベクトルは同じで、列ベクトルの並ぶ順番のみ異なります。
このことは、連立一次方程式の解法への応用において重要な点です。すなわち、連立一次方程式と対応を考えたとき、簡約階段行列と行標準形は変数の順序が異なるのみで、本質的には同じ連立一次方程式に対応しています。したがって、どちらを用いて連立一次方程式を解いても同じ解を得ることができるということです。
行標準形の意義
簡約階段行列との比較において、行標準形の意義はその見やすさにあります。特に、変数の数が多い連立一次方程式を解く際など、実際の計算においては、見やすいことがミスの防止につながります。
簡約階段行列と行標準形それぞれを用いた連立一次方程式の解法については、連立一次方程式の解法の項で詳しくみます。
行標準形と標準形の違い
なお、次項で定義する行列の標準形は、行標準形をさらに標準化した形であり、標準形はもとの行列に対して一意に定まります。
すなわち、簡約階段行列から行標準形に変形することで失われた一意性は、更に標準形に変形することで取り戻されます。
ただし、行標準形を標準形に変形することで連立方程式との関係性が失われてしまいます。このため、連立一次方程式の解法に利用する上では、行標準形がもっとも標準化された形といえます。
行列の標準形については、次項に詳しくみます。
証明
$A$ を $(m, n)$ 型行列として、$A$ の階数を $r$ とする。定理 5.12(簡約階段行列)より、$A$ は次のような簡約階段行列に変形することができる。
$A$ の簡約行列において、$0$ でない成分を持つ行の数は $r$ であり、それぞれの行の主成分を $a_{i j_{i}}$ とすると、$a_{i j_{i}} = 1$ であり、$j_{1} \lt j_{2} \lt \cdots \lt j_{r}$ が成り立つ。したがって、$1 \leqslant i \leqslant r$ について、$i \neq j_{i}$ であれば第 $i$ 列と第 $j_{i}$ 列を入れ替えるという操作を繰り返すことで、$A$ の簡約階段行列は次のように変形できる。
定義より、これは行標準形に他ならない。したがって、任意の $(m, n)$ 型行列 $A$ は、行基本変形と列の入れ替えにより行標準形に変形することができる。また、定理 5.12より、得られた行標準形の階数はもとの行列 $A$ の階数に等しい。$\quad \square$
証明の考え方
まず、定理 5.12(簡約階段行列)を用いて簡約階段行列に変形します。
得られた簡約階段行列に対して列の入れ替えを行い、各行の主成分を含む列を左に寄せることで行標準形が得られます。
前提事項の整理
- 前提として、$A$ を $(m, n)$ 型行列、$A$ の階数を $r$ とします。
簡約階段行列への変形
- 定理 5.12(簡約階段行列)より、任意の行列は簡約階段行列に変形することができます。
- $A$ は次のような簡約階段行列に変形することができます。
- $A$ の階数が $r$ であることから、$0$ でない成分を持つ行の数(簡約階段行列の階段の数)は $r$ になります。
- また、それぞれの行の主成分を $a_{i j_{i}}$ とすると、$a_{i j_{i}} = 1$ であり、$j_{1} \lt j_{2} \lt \cdots \lt j_{r}$ が成り立ちます(簡約階段行列の定義)。
行標準形への変形
得られた簡約階段行列を行標準形に変形します。
各行の主成分が対角線上に並ぶように列の入れ替えを行います。
- $A$ の簡約階段行列において各行の主成分は第 $j_{i}$ 列に位置します。すなわち、第 $i$ 行の主成分の位置は $(i, j_{i})$ であるので、第 $i$ 行の主成分を含む列は第 $j_{i}$ 列と表せます。
- いま、$i \neq j_{i}$ であれば第 $i$ 列と第 $j_{i}$ 列を入れ替えるという操作を $1 \leqslant r \leqslant r$ について繰り返すことで、各行の主成分が対角線上に並ぶように並び替えることができます。
- この操作により、$A$ の簡約階段行列は次のように変形できます。
以上から、任意の $(m, n)$ 型行列 $A$ は行基本変形と列の入れ替えにより行標準形に変形することができることが示されました。
まとめ
- 任意の行列は、行基本変形と列の入れ替えにより行標準形に変形することができる。
- 行標準形の対角線上に並ぶ $1$ の個数がもとの行列の階数に一致する。
- 行標準形において、対角線上に並ぶ $1$ の個数($\sim$ $0$ でない成分を持つ行の数)は一意に定まるが、行列の形は一意に定まらない。
参考文献
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