内積の定義
ベクトルの内積を幾何的に定義します。また、成分表示されたベクトルの内積が、対応する成分どうしの積の和に等しいことを示します。
内積は、長さ(距離)や角度といった概念を一般化する際に、重要な役割を果たします。
ベクトルの内積#
定義 1.7(ベクトルの内積)#
平面上のベクトル a と b のなす角を θ (0⩽θ⩽π) としたとき、次の値を a と b の内積(inner product)といい a⋅b と表す。
a⋅b=∥a∥∥b∥cosθ(1.2.1)
内積の幾何的な定義#
(1.2.1)式は内積を幾何的に定義したものです。幾何的には、内積は、ベクトル a の長さ(∥a∥)と、a への b の正射影ベクトルの長さ(∥b∥cosθ)の積と捉えることができます。
ベクトルの長さ(距離)となす角#
内積を定義することで、ベクトルの長さや 2 つのベクトルのなす角を内積を用いて表すことができます。
すなわち、平面上のあるベクトル a の長さと、2 つのベクトル a,b のなす角 θ について、それぞれ次が成り立ちます。
∥a∥θ=a⋅avp1,=∥a∥∥b∥a⋅b(1.2.2) 長さ(距離)や角度の一般化#
内積は、長さ(距離)や角度といった概念を一般化する際に、重要な役割を果たします。
ベクトル空間:幾何ベクトルの集合の一般化#
ベクトルの定義でふれたように、幾何ベクトル全体の集合はより抽象的なベクトル空間として一般化されます。ここで、ベクトルの和やスカラー倍といった演算はベクトル空間を構成するための要件(公理)となります。すなわち、定理 1.1(ベクトルの演算法則)を満たす和とスカラー倍が定義された集合としてベクトル空間が定義されるということです(ベクトル空間の定義を参照)。
計量ベクトル空間:内積が定義されたベクトル空間#
同様に、次項の定理 1.4(内積の演算法則)を満たすような内積が定義されたベクトル空間は、計量ベクトル空間として一般化されます。内積を定義することで、(1.2.2)式のような形で、抽象的なベクトル空間においても長さ(距離)やなす角に相当する概念を定義することができます。これは、内積の重要な役割の 1 つです。
内積を定義することの意義#
いま、我々はベクトルを幾何的に定義しているため、長さ(距離)や角度を所与のものとして内積を定義しました。しかしながら、一般化されたベクトル空間では、これらの幾何学的性質は自明ではありません。このような場合、内積を公理的に定義することで、長さ(距離)や角度に相当する概念を抽象的なベクトル空間に持ち込むことができるというわけです(計量ベクトル空間の定義を参照)。
表記と用語(ベクトルの内積)#
ベクトルの内積の表記は、教科書により、次のように異なります。
a⋅b,(a,b),⟨a,b⟩,⟨a∣b⟩ 線型代数の教科書では (a,b) の表記が多いようですが([1], [3] など)、これは行列の列ベクトルによる表記と混同するおそれがあるため、ここでは a⋅b と表記することとします。
また、内積は、スカラー積(scaler product)やドット積(dot product)などと呼ばれることもあります。
ベクトルの内積(成分表示)#
定理 1.3(ベクトルの内積)#
平面上に座標系が与えられており、ベクトル a,b が次のように成分表示されるとする。
a=(a1a2),b=(b1b2) このとき、ベクトル a と b の内積について、次が成り立つ。
a⋅b=a1b1+a2b2(1.2.3)
成分表示されたベクトルの内積#
成分表示されたベクトルの内積は、対応する成分どうしの積の和に等しくなります。
内積の代数的な定義#
定理 1.3(ベクトルの内積)は、内積の代数的な定義を与えるものでもあります。
幾何的な定義との対応#
以下の証明にみるように、定理 1.3(ベクトルの内積)により得られるベクトルの内積は、幾何的に定義した内積と一致し、座標系によらず、与えられたベクトルにより定まります。
すなわち、a,b の成分 (a1,a2),(b1,b2) の値は与えられた座標系により異なりますが、どのような座標系においても a1b1+a2b2 により計算される内積の値は一定で、幾何的に定義した内積( ∥a∥∥b∥cosθ )の値と一致します。
幾何的に定義した内積は座標系に依存しませんので、定理 1.3により得られる内積の値も、座標系によらず、与えられたベクトル a と b のみにより定まるといえます。
代数的な定義の意義と注意点#
定理 1.3(ベクトルの内積)により、幾何的に定義されたベクトルの内積を代数的に扱うことができます。これにより、多くの場合、ベクトルの演算が簡単になります。成分表示によるベクトルの和やスカラー倍の場合と同様です。
一方で、幾何ベクトルを対象とする限り、ベクトルの内積も幾何的に定義するのが自然です。仮に、(定理 1.3により)内積を代数的に定義する場合、これが幾何的な定義と一致し、与えられた座標系によらずに定まることを証明する必要があります。
平面上のベクトル a=(OA), b=(OB) について、与えられた座標系に関する O,A,B の座標を (0,0), (a1,a2), (b1,b2) とすると、a,b の成分表示はそれぞれ次のようになる。
a=(a1a2),b=(b1b2)
a と b のなす角を θ とすると、△OAB に関する余弦定理から次が成り立つ。
a⋅b=∥a∥∥b∥cosθ=21(∥a∥2+∥b∥2−∥b−a∥2)=21[(a12+a22)+(b12+b22)−{(b1−a1)2+(b2−a2)2}]=a1b1+a2b2 したがって、a と b の対応する成分どうしの積の和は a と b の内積に等しい。□
証明の考え方#
2 つのベクトル a=(OA), b=(OB) により作られる △OAB に関して、余弦定理を適用します。
前提事項の整理#
平面上に 2 つのベクトル a=(OA), b=(OB) があるとします。
- これらのベクトルは平面上の有向線分により定まります(ベクトルの定義)。
- 当然ながら、a,b は与えられた座標系によらずに定まります。
平面上に 1 つの直交座標系が与えられたとします。
- 座標系が与えられたことにより、その座標系に対して平面上の点 O,A,B の座標が定まります。
- O,A,B の座標を、それぞれ (0,0), (a1,a2), (b1,b2) とします。
- a と b は幾何ベクトルであり、平面上に束縛されていません (ベクトルの定義)。
- そのため、a と b の始点は自由に定めることができます。
- ここでは、後の計算を楽にするためにそれぞれの始点を与えられた座標系の原点 O に合わせます。
- O,A,B の座標が定まったことにより a,b の成分も定まり、それぞれの成分表示は次のようになります(ベクトルの成分表示)。
a=(a1a2),b=(b1b2)
このとき、2 つのベクトル a と b により作られる △OAB は次のようになります。
- ここで、a と b のなす角を θ とします。
- 辺 AB は a と b の差 b−a により表すことができます。

余弦定理の適用#
定義にしたがって a と b の内積を計算します。
△OAB に関して余弦定理を適用することで、ベクトルの成分の計算に持ち込みます。
a⋅b=(i)∥a∥∥b∥cosθ=(ii)21(∥a∥2+∥b∥2−∥b−a∥2)=(iii)21[(a12+a22)+(b12+b22)−{(b1−a1)2+(b2−a2)2}]=(iv)a1b1+a2b2 (i)内積の定義によります。
(ii)余弦定理によります。すなわち、△OAB に関して、OA=a, OB=b, AB=c とすれば、次が成り立ちます。
c2=a2+b2−2abcosθ⇔abcosθ=21(a2+b2−c2) (iii)ベクトル a,b, b−a の長さをそれぞれの成分により表します((1.2.2)式)。
(iv)2 乗の項が打ち消しあい、a1b1+a2b2 が得られます。
以上から、a と b の対応する成分どうしの積の和が、幾何的に定義した a と b の内積に等しいことが確かめられました。
a⋅b=a1b1+a2b2 当然ながら、幾何的に定義したベクトルの内積は座標系によりません。したがって、2 つのベクトル a,b の対応する成分どうしの積の和も、座標系によらず、ベクトル a,b のみにより定まるといえます。
まとめ#
[1] 齋藤正彦. 線型代数入門. 東京大学出版会. 1966.
[2] 永田雅宣 他. 理系のための線型代数の基礎. 紀伊國屋書店. 1986.
[3] 川久保勝夫. 線形代数学 [新装版]. 日本評論社. 2010.
[4] 松坂和夫. 線型代数入門 [新装版]. 岩波書店. 2018.
[5] 三宅敏恒. 線形代数学 初歩からジョルダン標準形へ. 培風館. 2008.
[6] S. Lang. Linear Algebra Third Edition. Springer. 1987.
[7] T. Miyake. Linear Algebra From the Beginnings to the Jordan Normal. Springer. 2022.
[8] 雪江明彦. 代数学 1 群論入門. 日本評論社. 2010.
[9] 雪江明彦. 代数学 2 環と体とガロア理論. 日本評論社. 2010.
[10] 桂利行. 代数学 I 群と環. 東京大学出版会. 2004.
[11] 松坂和夫. 代数系入門. 岩波書店. 1976.
[12] 高木貞治. 代数学講義 [改訂新版]. 共立出版. 1965.
[13] S. Lang. Algebra Revised Third Edition. Springer. 2002.
[14] M. Artin. Algebra Second Edition. Pearson Education Limited. 2014.
[15] 青本和彦 他. 数学入門辞典. 岩波書店. 2005.
初版:2023-08-14 | 改訂:2024-12-04