行列の和とスカラー倍

行列の和とスカラー倍の演算を定義し、それぞれに成り立つ演算法則を示します。

行列の和とスカラー倍に関する演算法則は、後に導入するベクトル空間の公理に対応するものです。

行列の和とスカラー倍の定義

まず、行列の和とスカラー倍の演算を定義します。


定義 2.6(行列の和とスカラー倍)

22 つの行列 A=(aij),  B=(bij)A = (\, a_{ij} \,), \; B = (\, b_{ij} \,) に対して、対応する成分の和 aij+bija_{ij} + b_{ij} を成分とする行列を AABB の和といい、A+BA + B と表す。

A+B=(aij+bij) \begin{equation} \tag{2.2.1} A + B = (\, a_{ij} + b_{ij} \,) \end{equation}

また、kk を実数または複素数として、行列 A=(aij)A = (\, a_{ij} \,) の各成分の kk 倍を成分とする行列を AA のスカラー倍といい、kAkA と表す。

kA=(kaij) \begin{equation} \tag{2.2.2} kA = (\, k \, a_{ij} \,) \end{equation}


解説

行列の和とは

行列の和とは、22 つの行列の対応する成分どうしの和を成分として持つ行列のことです。

行列の和が定義されるための条件

行列の和は、22 つの行列が同じ型のである場合にのみ定義されます。

仮に、22 つの行列の型が異なる場合、対応のとれない成分ができてしまいます。そのため、和の対象となる 22 つの行列は、必ず同じ型である必要があります。

行列のスカラー倍とは

行列のスカラー倍とは、ある行列の成分をスカラー倍したものを成分として持つ行列のことです。

スカラーとは:実数または複素数

ここで、実数または複素数 kk を、スカラー(scaler\text{scaler})と呼びます。

また、KK を実数全体の集合 R\mathbb{R} または複素数全体の集合 C\mathbb{C} のいずれかを表すものとして、kKk \in K とも表します。記号 KK の用法については、行列の定義を参照ください。


行列の和とスカラー倍の演算法則

次に、行列の和とスカラー倍の演算について成り立つ演算規則を示します。


定理 2.1(行列の和とスカラー倍)

行列の和とスカラー倍について、次の演算法則が成り立つ。

(i)(A+B)+C=A+(B+C)(ii)A+B=B+A(iii)A+O=A(iv)A+(A)=O(v)(c+d)A=cA+dA(vi)c(A+B)=cA+cB(vii)(cd)A=c(dA)(viii)1A=A(2.2.3) \begin{gather*} (\text{i}) & (A + B) + C = A + (B + C) \\ (\text{ii}) & A + B = B + A \\ (\text{iii}) & A + O = A \\ (\text{iv}) & A + (-A) = O \\ (\text{v}) & (c + d) A = cA + dA \\ (\text{vi}) & c(A + B) = cA + cB \\ (\text{vii}) & (cd) A = c (dA) \\ (\text{viii}) & 1 A = A \\ \end{gather*} \tag{2.2.3}


解説

定理 2.1(行列の和とスカラー倍)i\text{i}\simviii\text{viii}は、行列の和とスカラー倍の演算について成り立つ演算規則です。ここで、A,B,CMm,n(K)A, B, C \in M_{m, n} (K) は任意の行列、c,dKc, d \in K は任意のスカラーを表しています。

これらの演算法則は、行列の和とスカラー倍の定義より明らかで、行列の各成分に着目することで、簡単に証明できます。

行列の和の演算規則

上記のi\text{i}ii\text{ii}は、行列の和に関して、結合法則(associative law\text{associative law})と交換法則(commutative law\text{commutative law})がそれぞれ成り立つことを示しています。

iii\text{iii}は、任意の行列と零行列 OO の和がもとの行列に等しいことを表しています。また、iv\text{iv}は、行列 AA とその 1-1 倍の和が零行列 OO に等しいことを表しています。ここで、A=(1)A-A = (-1) \, A であり、行列 AA1-1 倍は A-A と略記されています。

行列のスカラー倍の演算規則

上記のv\text{v}vi\text{vi}は、一般的な分配法則に形は似ていますが、若干異なるものである点に注意が必要です。一般に、同じ集合 SS の元 a,b,cSa, b, c \in S について (a+b)c=ac+bc(a + b) \, c = ac + bc が成り立つことを分配法則といいます。しかしながら、v\text{v}vi\text{vi}において c,dc, d はスカラー、A,BA, B は行列であり、それぞれ別の集合の元です。

vii\text{vii}は、行列 AAcdcd 倍が dAd Acc 倍に等しいことを、viii\text{viii}は、行列 AA11 倍が AA そのものに等しいくなることを、それぞれ表しています。

ベクトル空間の公理との対応

定理 2.1(行列の和とスカラー倍)にまとめた演算法則i\text{i}\simviii\text{viii}は、ベクトル空間の公理と対応するものです。

これは、(m,n)(m, n) 型行列が、後に定義する抽象的なベクトル11 つであることを意味しています。また、(m,n)(m, n) 型行列全体の集合 Mm,n(K)M_{m, n} (K)ベクトル空間であることを意味しているともいえます。


まとめ

  • 22 つの行列 A=(aij),  B=(bij)A = (\, a_{ij} \,), \; B = (\, b_{ij} \,) に対して、AABB の和を A+B=(aij+bij)A + B = (\, a_{ij} + b_{ij} \,) と定義する。

  • 実数または複素数 kk と行列 A=(aij)A = (\, a_{ij} \,) に対して、AA のスカラー倍を、kA=(kaij)kA = (\, k \, a_{ij} \,) と定義する。

  • 行列の和とスカラー倍について、次の演算法則が成り立つ。

    (i)(A+B)+C=A+(B+C)(ii)A+B=B+A(iii)A+O=A(iv)A+(A)=O(v)(c+d)A=cA+dA(vi)c(A+B)=cA+cB(vii)(cd)A=c(dA)(viii)1A=A \begin{gather*} (\text{i}) & (A + B) + C = A + (B + C) \\ (\text{ii}) & A + B = B + A \\ (\text{iii}) & A + O = A \\ (\text{iv}) & A + (-A) = O \\ (\text{v}) & (c + d) A = cA + dA \\ (\text{vi}) & c(A + B) = cA + cB \\ (\text{vii}) & (cd) A = c (dA) \\ (\text{viii}) & 1 A = A \\ \end{gather*}

  • 行列の和とスカラー倍について成り立つ演算法則は、ベクトル空間の公理と対応している。


参考文献

[1] 齋藤正彦. 線型代数入門. 東京大学出版会. 1966.
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初版:2023-01-03   |   改訂:2025-04-25