ベクトル空間の性質(2)
前項で定義したベクトル空間の性質ともいえる諸定理を示します。
以下に示す定理は一見して明らかな事実や演算規則のように見えますが、確かにベクトル空間の公理のみから導出されるものであることを確認しておくことが重要です。
ベクトル空間の公理からわかること
定理 4.3(ベクトルの演算 $2$)
$V$ をベクトル空間とする。任意の $\bm{v} \in V$ と $c \in K$ に対して、$c \bm{v} = \bm{0}$ が成り立つならば $c = 0$ または $\bm{v} = \bm{0}$ である。
証明 4.3
$c \bm{v} = \bm{0}$ かつ $c \neq 0$ であるとすると、
一方で、
であるから $\bm{v} = \bm{0}$ となる。よって、$c \bm{v} = \bm{0}$ ならば $c = 0$ または $\bm{v} = \bm{0}$ である。$\quad \square$
証明の骨子 4.3
背理法の考え方により示します。ベクトル空間の公理や既に示した定理 4.2を用います。
定理の主張の否定を考えます。
- 定理の主張は「任意の $\bm{v} \in V$ と $c \in K$ に対して、$c \bm{v} = \bm{0}$ ならば $c = 0$ または $\bm{v} = \bm{0}$」ということですので、この否定は「$c \bm{v} = \bm{0}$ かつ $c \neq 0$ かつ $\bm{v} \neq \bm{0}$ となる $\bm{v} \in V$ か $c \in K$ が存在する」ということになります。
- $p \Rightarrow q$ の否定は $p \land {}^{\lnot} q$ になります。すなわち、「$p$ ならば $q$」 の否定は「$p$ にもかかわらず ${q}$ でない」ということと解せます。
- このことは、以下のような論理式で考えるとよりわかりやすいです。$$ \begin{split} {}^{\lnot} \{ \; c \bm{v} = \bm{0} \Rightarrow ( \, c = 0 \lor \bm{v} = \bm{0} \, ) \; \} \quad &\Leftrightarrow \quad c \bm{v} = \bm{0} \land {}^{\lnot} ( \, c = 0 \lor \bm{v} = \bm{0} \, ) \\ &\Leftrightarrow \quad c \bm{v} = \bm{0} \land c \neq 0 \land \bm{v} \neq \bm{0} \end{split} $$
- 定理の主張は「任意の $\bm{v} \in V$ と $c \in K$ に対して、$c \bm{v} = \bm{0}$ ならば $c = 0$ または $\bm{v} = \bm{0}$」ということですので、この否定は「$c \bm{v} = \bm{0}$ かつ $c \neq 0$ かつ $\bm{v} \neq \bm{0}$ となる $\bm{v} \in V$ か $c \in K$ が存在する」ということになります。
定理の否定を仮定して、矛盾を導きます。
$c \bm{v} = \bm{0}$ かつ $c \neq 0$ かつ $\bm{v} \neq \bm{0}$ となる $\bm{v} \in V$ か $c \in K$ が存在すると仮定します。
$$ \begin{array} {cl} (\text{i}) & c \bm{v} = \bm{0} \\ (\text{ii}) & c \neq 0 \\ (\text{iii}) & \bm{v} \neq \bm{0} \\ \end{array} $$仮定($\text{ii}$)$c \neq 0$ より、逆数 $\dfrac{1} {\, c \,} \in K$ が考えられますが、仮定($\text{i}$)$c \bm{v} = \bm{0}$ にこれを掛けると矛盾する結果が得られます。
まず、ベクトル空間の公理より $\dfrac{1}{\, c \,} \; (c \bm{v}) = \bm{v}$ となります。
$$ \begin{align*} \frac{1}{\, c \,} \; (c \bm{v}) \overset{(1)}{=} (\frac{1}{\, c \,} \, c) \, \bm{v} \overset{(2)}{=} 1 \bm{v} \overset{(3)}{=} \bm{v} \end{align*} $$- ($\text{1}$)は、ベクトル空間の公理($\text{vii}$)によります。
- ($\text{2}$)は、スカラーの積の演算です。
- ($\text{3}$)は、ベクトル空間の公理($\text{viii}$)によります。
次に、仮定($\text{i}$)により $\dfrac{1}{\, c \,} \; (c \bm{v}) = \bm{0}$ となります。
$$ \begin{align*} \frac{1}{\, c \,} \; (c \bm{v}) \overset{(1)}{=} \frac{1}{\, c \,} \; (\bm{0}) \overset{(2)}{=} \bm{0} \end{align*} $$- ($\text{1}$)は、仮定($\text{i}$)$c \bm{v} = \bm{0}$ によります。
- ($\text{2}$)は、定理 4.2の($\text{iv}$)によります。
以上の考察から、$\bm{v} = \bm{0}$ が導かれますが、これは、$\bm{v} \neq \bm{0}$ とする仮定($\text{iii}$)に矛盾します。よって題意が示されました。
背理法的な考え方で、定理の主張を否定して矛盾を導く方針をとります。証明自体は非常に簡潔にまとめることができます。
定理 4.4(ベクトルの差)
$V$ をベクトル空間とする。任意の $\bm{u}, \bm{v} \in V$ に対して $\bm{u} + \bm{w} = \bm{v}$ を満たす $\bm{w} \in V$ が存在し、$\bm{w}$ は $\bm{v} + (-\bm{u})$ に等しい。
証明 4.4
$\bm{w} \in V$ が $\bm{u} + \bm{w} = \bm{v}$ を満たすならば、
となる。逆に $\bm{w} = \bm{v} + (-\bm{u})$ とおくと、
であるから $\bm{u} + \bm{w} = \bm{v}$ を満たす。$\quad \square$
証明の骨子 4.4
($\text{i}$)「$\bm{u} + \bm{w} = \bm{v}$ を満たす $\bm{w}$ が存在すること」と($\text{ii}$)「$\bm{w} = \bm{v} + (-\bm{u})$ であること」の同値性を示します。
- ($\text{i}$)$\Rightarrow$($\text{ii}$)
$\bm{u} + \bm{w} = \bm{v}$ を満たす $\bm{w}$ が存在するとして、$\bm{w} = \bm{v} + (-\bm{u})$ を導きます。
$$ \begin{align*} \bm{w} &\overset{(1)}{=} \bm{w} + \bm{0} \overset{(2)}{=} \bm{w} + \{ \bm{u} + (-\bm{u}) \} \overset{(3)}{=} \{ \bm{u} + \bm{w} \} + (-\bm{u}) \overset{(4)}{=} \bm{v} + (-\bm{u}) \end{align*} $$- ($\text{1}$)と($\text{2}$)は、それぞれベクトル空間の公理($\text{iii}$)と($\text{iv}$)によります。
- ($\text{3}$)は、和の順序の入れ替えです。ベクトル空間の公理($\text{i}$)と($\text{ii}$)の結合法則と交換法則を順次適用することで得られます。
- ($\text{4}$)は、$\bm{u} + \bm{w} = \bm{v}$ の仮定によります。
以上の考察から、$\bm{w} = \bm{v} + (-\bm{u})$ が得られました。
- ($\text{i}$)$\Leftarrow$($\text{ii}$)
$\bm{w} = \bm{v} + (-\bm{u})$ として、$\bm{w}$ が $\bm{u} + \bm{w} = \bm{v}$ を満たすことを導きます。
$$ \bm{u} + \bm{w} \overset{(1)}{=} \bm{u} + \{ \bm{v} + (-\bm{u}) \} \overset{(2)}{=} \{ \bm{u} + (-\bm{u}) \} + \bm{v} \overset{(3)}{=} \bm{0} + \bm{v} \overset{(4)}{=} \bm{v} $$- ($\text{1}$)は、$\bm{w} = \bm{v} + (-\bm{u})$ の仮定によります。
- ($\text{2}$)は、和の順序の入れ替えです。ベクトル空間の公理($\text{i}$)と($\text{ii}$)の結合法則と交換法則を順次適用することで得られます。
- ($\text{3}$)と($\text{4}$)は、それぞれベクトル空間の公理($\text{iv}$)と($\text{iii}$)によります。
以上の考察から、$\bm{w}$ が $\bm{u} + \bm{w} = \bm{v}$ を満たすことがわかりました。
- 以上から($\text{i}$)$\Leftrightarrow$($\text{ii}$)となり、題意が示されました。
この定理に現れる $\bm{w}$ はベクトルの差に相当する概念と捉えることができます。証明からわかるように、これはベクトル空間の公理から自然な形で導かれるものであり、(ベクトルの和が定義されていれば)ベクトルの差を明示的に定義する必要がないことを表しているとも理解できます。
まとめ
- $V$ をベクトル空間とすると、
- 任意の $\bm{v} \in V$ と $c \in K$ に対して、$c \bm{v} = \bm{0}$ が成り立つならば $c = 0$ または $\bm{v} = \bm{0}$ である。
- 任意の $\bm{u}, \bm{v} \in V$ に対して $\bm{u} + \bm{w} = \bm{v}$ を満たす $\bm{w} \in V$ が存在し、$\bm{w}$ は $\bm{v} + (-\bm{u})$ に等しい。
- 任意の $\bm{v} \in V$ と $c \in K$ に対して、$c \bm{v} = \bm{0}$ が成り立つならば $c = 0$ または $\bm{v} = \bm{0}$ である。
参考文献
[1] 齋藤正彦. 線型代数入門. 東京大学出版会. 1966.[2] 永田雅宣 他. 理系のための線型代数の基礎. 紀伊國屋書店. 1986.
[3] 川久保勝夫. 線形代数学 [新装版]. 日本評論社. 2010.
[4] 松坂和夫. 線型代数入門 [新装版]. 岩波書店. 2018.
[5] S. Lang. Linear Algebra Third Edition. Springer. 1987.
[6] 雪江明彦. 代数学 $1$ 群論入門. 日本評論社. 2010.
[7] 雪江明彦. 代数学 $2$ 環と体とガロア理論. 日本評論社. 2010.
[8] 桂利行. 代数学 $\text{I}$ 群と環. 東京大学出版会. 2004.
[9] 松坂和夫. 代数系入門. 岩波書店. 1976.
[10] 高木貞治. 代数学講義 [改訂新版]. 共立出版. 1965.
[11] S. Lang. Algebra Revised Third Edition. Springer. 2005.
[12] M. Artin. Algebra Second Edition. Pearson Education Limited. 2014.
[13] 青本和彦 他. 数学入門辞典. 岩波書店. 2005.