標準形
具体的に与えられた行列は、基本変形によって(より扱いやすい)標準化された形に変形できます。
ここでは、標準形と呼ばれる形を定義するとともに、任意の行列が基本変形により標準形に変形できることを示します。
行列の標準形は階数の性質を良く表すものであり、行列の階数が基本変形により定義できるという重要な示唆を与えます。
行列の標準形
定義 5.6(標準形)
次のような行列を標準形という。ここで、$E_{r}$ は $r$ 次の単位行列、$O$ は零行列行列を表す。
解説
標準形の形
標準形は、次のような形の行列になります。
ここで、$O$ は成分がすべて $0$ であるブロックを表しています。
$(1, 1)$ 成分から対角線上に並ぶ $1$ の個数 $r$ はもとの行列 $A$ の階数に等しくなります(定理 5.10(基本変形と階数))。また、$r = \text{rank} \, A \leqslant m, n$ である(定理 4.59(列階数と行階数))ことから、対角線上の $1$ が必ず右下端に達するとは限りません。
標準形への変形
定理 5.15(標準形)
任意の $(m, n)$ 型行列 $A$ は、基本変形の操作を繰り返すことで、次のような形に変形することができる。ここで、$r$ は $A$ の階数を表す。
解説
標準形は一意に定まる
定理 5.10(基本変形と階数)より、基本変形は行列の階数を変えません。また、当然ながら、基本変形は行列の型を変えません。したがって、型と階数が同じ行列はすべて同じ標準形に変形されるということができます。
このような意味において、具体的に与えられた行列に対して、基本変形によって得られる標準形は(基本変形の仕方によらず)一意に定まるといえます。
行標準形と標準形の違い
標準形は行標準形を更に標準化したものです。
定理 5.15(標準形)より、具体的に与えられた行列から標準形を得るためにはすべての基本変形の操作を行います。すなわち、行標準形を得るための操作(行基本変形と列の入れ替え)に加えて、列に対する掃き出しの操作も行うことにより、標準形は、行標準形よりもより簡単な(標準化された)形になります。
上述の通り、標準形は一意に定まります。この点も行標準形とは異なります。
- 行標準形:対角線上に並ぶ $1$ の個数($\sim$ $0$ でない成分を持つ行の数)は一意に定まるが、行列の形は一意に定まらない。
- 標準形:対角線上に並ぶ $1$ の個数($\sim$ $0$ でない成分を持つ行の数)も、行列の形も一意に定まる。
標準形と階数
基本変形による階数の定義
具体的に与えられた行列に対して標準形が一意に定まるということは、標準形の対角線上に並ぶ $1$ の個数( $r$ )が与えられた行列のみにより定まるということです。
このことは、標準形への変形(定理 5.15)により、行列の階数を定義することができるということを示唆します。
線型写像と次元による定義との同等性
我々はすでにベクトル空間の概念(線型写像と次元)を用いて階数を定義しているので、定理 5.15(標準形)により定まる数 $r$ が、定義 4.12(行列の階数)に定義した階数に一致することを確かめられます(下の証明を参照ください)。
逆に、定理 5.15(標準形)により定まる数 $r$ を行列の階数と定義しても、これが定義 4.12(行列の階数)により定まる数(行列 $A$ により定まる線型写像 $f_{A}$ の像の次元 $\dim (\text{Im} f_{A})$ )に等しくなることを確かめることができます。
つまり、定理 5.15(標準形)と定義 4.12(行列の階数)は同等のものであるといえます。
基本変形による定義の意義
定理 5.15(標準形)により階数を定義している教科書としては [1] などがあります。
このような定義を採用することで、ベクトル空間や線型写像などの概念に先立って行列の階数を導入することができます。これにより、階数を計算する方法や連立一次方程式を形式的に解く方法を少し早めに手に入ることができます。
しかしながら、階数は線型代数学の全般にわたって重要な概念なので、ベクトル空間や線型写像に先立って階数を定義する意義はあまりありません。
結局のところ、行列と線型写像との対応や斉次連立一次方程式の解空間と係数行列の階数との関係など、線形代数において重要なアイディアにおいては、ベクトル空間の概念と階数をあわせて考える必要があるからです。
行標準形の意義
上述の通り、行列の基本変形により階数を定義しうるという点において、行列の標準形は理論的に意義のあるものです。しかしながら、計算など実用的な意義はあまりありません。
与えられた行列の階数を求めるためには、階段行列までの変形で事足ります。また、連立一次方程式の解法や逆行列の計算などへの応用においても、簡約階段行列もしくは行標準形までの変形で充分です。
したがって、何か実用的な使途で標準形への変形を行う機会は少ないかと思います。
証明
$A$ を $(m, n)$ 型行列として、$A$ の階数を $r$ とする。$A$ のすべての成分が $0$ であれば $r = 0$ であるから、$A$ はすでに標準形である。したがって、$A$ が少なくとも $1$ つの $0$ でない成分を持つとする。このとき、行と列を入れ替えることで $A$ の $(1, 1)$ 成分が $0$ でないように変形することができる。また、$A$ の $(1, 1)$ 成分を $a_{11} \neq 0$ とすれば、第 $1$ 行を ${a_{11}}^{-1}$ 倍することで、これを $1$ とすることができる。すなわち、$A$ は次のように変形できる。
いま、$A$ の第 $1$ 行を ${a_{i1}}^{-1}$ 倍して第 $i$ 行に加えるという操作を $2 \leqslant i \leqslant m$ について繰り返し、つづいて $A$ の第 $1$ 列を ${a_{1j}}^{-1}$ 倍して第 $j$ 列に加えるという操作を $2 \leqslant j \leqslant n$ について繰り返すことで、$A$ は次のように変形される。
ここで、$A$ から第 $1$ 行と第 $1$ 列を除いた行列を $A^{\prime}$ として、$A^{\prime}$ に対して同様の操作を繰り返すことで、次のような標準形が得られる。
したがって、任意の $(m, n)$ 型行列 $A$ は、基本変形により標準形に変形することができる。得られた標準形の階数は明らかに $r$ であり、もとの行列 $A$ の階数に等しい。$\quad \square$
証明の考え方
すべての成分が $0$ である行列は定義から、すでに標準形といえます。
$0$ でない成分が少なくとも $1$ つあれば、これを左上に移動させ、その成分を要(かなめ)に他の行と列を掃き出すという操作を繰り返すことで標準形が得られます。
前提事項の整理
- 前提として、$A$ を $(m, n)$ 型行列、$A$ の階数を $r$ とします。
$A = O$ の場合
- $A$ のすべての成分が $0$ であれば、$A$ の階数も $0$ であり、$r = \text{rank} \, A = 0$ となります。
- $r = 0$ であれば(5.3.2)式により表される標準形は零行列 $O$ に等しく、したがって、このとき $A$ はすでに標準形であるといえます。
$A \neq O$ の場合
このとき $A$ は少なくとも $1$ つの $0$ でない成分を持ち、行と列を入れ替えることで $A$ の $(1, 1)$ 成分が $0$ でないように変形することができます(基本変形($3$)「$2$ つの行を入れ替える」、基本変形($3^{\prime}$)「$2$ つの列を入れ替える」)。
$A$ の $(1, 1)$ 成分を $a_{11} \neq 0$ とすれば、第 $1$ 行を ${a_{11}}^{-1}$ 倍することで、これを $1$ とすることができます(基本変形($1$)「ある行を $c$ 倍($c \neq 0$)する」、または、基本変形($1^{\prime}$)「ある列を $c$ 倍($c \neq 0$)する」)。
これらの変形により $A$ は次のようになります。
$$ A = \begin{pmatrix} 1 & a_{12} & \cdots & a_{1n} \\ a_{21} & a_{22} & \cdots & a_{2n} \\ \vdots & \vdots & \ddots & \vdots \\ a_{m1} & a_{m2} & \cdots & a_{mn} \\ \end{pmatrix} $$$A$ の第 $1$ 行を ${a_{i1}}^{-1}$ 倍して第 $i$ 行に加えるという操作を $2 \leqslant i \leqslant m$ について繰り返します。(基本変形($2$)「ある行を $c$ 倍して他の行に加える」)
- この操作により、$A$ の第 $1$ 列は $(1, 1)$ 成分より下の成分がすべて $0$ に等しくなります。
- この操作は「$(1, 1)$ 成分を要(かなめ)として第 $1$ 列を掃き出す」などと表現されます。$$ A = \begin{pmatrix} 1 & a_{12} & \cdots & a_{1n} \\ 0 & a^{\prime}_{22} & \cdots & a^{\prime}_{2n} \\ \vdots & \vdots & \ddots & \vdots \\ 0 & a^{\prime}_{m2} & \cdots & a^{\prime}_{mn} \\ \end{pmatrix} $$
つづいて $A$ の第 $1$ 列を ${a_{1j}}^{-1}$ 倍して第 $j$ 列に加えるという操作を $2 \leqslant j \leqslant n$ について繰り返します。(基本変形($2^{\prime}$)「ある列を $c$ 倍して他の列に加える」)
- この操作により、$A$ の第 $1$ 行は $(1, 1)$ 成分より右の成分がすべて $0$ に等しくなります。
- この操作は「$(1, 1)$ 成分を要(かなめ)として第 $1$ 行を掃き出す」などと表現されます。$$ A = \begin{pmatrix} \; 1 & \begin{matrix} 0 \phantom{a} & \cdots & \phantom{a} 0 \end{matrix} \; \\ \; \begin{matrix} 0 \\ \vdots \\ 0 \end{matrix} & \begin{array} {|ccc|} \hline a^{\prime}_{22} & \cdots & a^{\prime}_{2n} \\ \vdots & \ddots & \vdots \\ a^{\prime}_{m2} & \cdots & a^{\prime}_{mn} \\ \hline \end{array} \; \end{pmatrix} $$
上図の枠囲いの中の成分 $a^{\prime}_{ij} \; (2 \leqslant i \leqslant m, \, 2 \leqslant j \leqslant n)$ がすべて $0$ か否かにより場合分けします。
枠内の成分がすべて $0$ ならば、すなわち $a^{\prime}_{ij} = 0 \,$ $(2 \leqslant i \leqslant m,$ $2 \leqslant j \leqslant n)$ のとき、$A$ は $r = 1$ の標準形となります。
$$ A = \begin{pmatrix} \; 1 & \begin{matrix} 0 & \cdots & 0 \end{matrix} \; \\ \; \begin{matrix} 0 \\ \vdots \\ 0 \end{matrix} & \begin{array} {|ccc|} \hline 0 & \cdots & 0 \\ \vdots & \ddots & \vdots \\ 0 & \cdots & 0 \\ \hline \end{array} \; \end{pmatrix} $$枠内に $0$ でない成分があるとき、枠囲いの中を $(m - 1, n - 1)$ 型行列 $A^{\prime}$ として、$A^{\prime}$ に対して同様の操作を繰り返せば、結局次のような標準形が得られます。
以上から、任意の $(m, n)$ 型行列 $A$ は基本変形により標準形に変形することができることが示されました。
また、得られた標準形の階数は明らかに $r$ であり、もとの行列 $A$ の階数に一致します。
- このことは、定理 5.10(基本変形と階数)により、基本変形によって行列の階数が変わらないことから確かめられます。
まとめ
- 任意の行列は、基本変形により標準形に変形することができる。
- 標準形の対角線上に並ぶ $1$ の個数がもとの行列の階数に一致する。
- 標準形において、対角線上に並ぶ $1$ の個数($\sim$ $0$ でない成分を持つ行の数)と、行列の形は一意に定まる。
参考文献
[1] 齋藤正彦. 線型代数入門. 東京大学出版会. 1966.[2] 永田雅宣 他. 理系のための線型代数の基礎. 紀伊國屋書店. 1986.
[3] 川久保勝夫. 線形代数学 [新装版]. 日本評論社. 2010.
[4] 松坂和夫. 線型代数入門 [新装版]. 岩波書店. 2018.
[5] S. Lang. Linear Algebra Third Edition. Springer. 1987.
[6] 雪江明彦. 代数学 $1$ 群論入門. 日本評論社. 2010.
[7] 雪江明彦. 代数学 $2$ 環と体とガロア理論. 日本評論社. 2010.
[8] 桂利行. 代数学 $\text{I}$ 群と環. 東京大学出版会. 2004.
[9] 松坂和夫. 代数系入門. 岩波書店. 1976.
[10] 高木貞治. 代数学講義 [改訂新版]. 共立出版. 1965.
[11] S. Lang. Algebra Revised Third Edition. Springer. 2005.
[12] M. Artin. Algebra Second Edition. Pearson Education Limited. 2014.
[13] 青本和彦 他. 数学入門辞典. 岩波書店. 2005.