基本的な性質(4)
正方行列の対角成分の和を行列のトレース()といいます。
ここでは、行列のトレースを定義するとともに、固有多項式の係数が行列のトレースや行列式を用いて表せることを示します。
固有多項式の係数
定理 6.7(固有多項式の係数)
を 次の正方行列として、 の固有多項式 を次のように表すと、
の係数について、次が成り立つ。
解説
固有多項式の係数
次正方行列の固有多項式は 次多項式
定理 6.3(固有方程式)より、 次の正方行列 の固有多項式は、次のように定義されます。
このような定義より、 次の正方行列の固有多項式は 次多項式になります。したがって、 の固有方程式 は変数 に関する 次多項式となり、一般に、次のように書き下せます。
固有多項式の係数(定理 6.7 の主張)
(6.2.4)式において、 次の係数、 次の係数、 次の係数が、次のように、 のトレースや行列式を用いて表せる、というのが定理 6.7(固有多項式の係数)の主旨です。
当然ながら、与えられた に対して、固有多項式の 次 次の係数を求めることもできますが、計算が非常に面倒であり、かつ、トレースや行列式などを用いて簡単に表すことはできません。このような理由から、 次 次の係数は、定理 6.7(固有多項式の係数)に含まれません。
行列のトレース
行列のトレースの定義
正方行列 に対して、その対角成分の和を のトレース()といい、 と表します。
例えば、 を次のような 次の正方行列とすると、
のトレース( )は、次のようになります。
行列のトレースは線型写像
上記の定義より、行列のトレースは から への写像であり と表すことができます。
また、行列のトレースは線型写像であり、 について、次が成り立ちます。このことは、線型写像の定義により簡単に確かめることができます。
このような意味で、トレースは、行列式などと同様、行列を特徴づける値であるといえます。
固有多項式の係数(定義が異なる場合)
固有多項式の定義の違い
定理 6.3(固有方程式)に示したように、教科書により、固有多項式の定義の仕方が異なる場合があります。
ここでは、 の固有多項式を と定義していますが、 を の固有多項式としている教科書もあります。
定義による固有多項式の係数の違い
多くの場合、固有多項式そのものより、固有方程式( または )を解いて固有値を求めることの方が重要です。したがって、固有多項式の定義により、大きな差は生まれません。しかしながら、定理 6.7(固有多項式の係数)のように、固有多項式の係数を考える場合、定義により異なる結果が得られます。
いま、定理 3.7(行列式の多重線型性)より、次が成り立ちます。
したがって、 の固有多項式を とした場合、 の係数は、次のようになります。
証明
ここで、
証明の考え方
定理 6.3(固有方程式)と行列式の定義より、(
上記のような分解により、
(1)固有多項式の分解
- 定理 6.3(固有方程式)と行列式の定義より、固有多項式
を対角成分の積とそれ以外の項の和に分解します。ϕ A ( t ) \phi_{A} (t) - 定理 6.3(固有方程式)より、
であり、ϕ A ( t ) = ∣ A − t E ∣ \phi_{A} (t) = \big\lvert \, A - t E \, \big\rvert としてこれを成分を用いて表すと、次のようになります。A = ( a i j ) A = (\, a_{ij} \,) ϕ A ( t ) = ∣ A − t E ∣ = ∣ a 11 − t a 12 ⋯ a 1 n a 21 a 22 − t ⋯ a 2 n ⋮ ⋮ ⋱ ⋮ a n 1 a n 2 ⋯ a n n − t ∣ \begin{align*} \phi_{A} (t) &= \big\lvert \, A - t E \, \big\rvert \\ &= \begin{vmatrix} \; a_{11} - t & a_{12} & \cdots & a_{1n} \; \\ \; a_{21} & a_{22} - t & \cdots & a_{2n} \; \\ \; \vdots & \vdots & \ddots & \vdots \; \\ \; a_{n1} & a_{n2} & \cdots & a_{nn} - t \; \\ \end{vmatrix} \tag{ } \end{align*}∗ \ast
- 上記(
)式において∗ \ast を含む成分は対角成分のみなので、t t のt t 次の項(n n )は明らかに対角成分の積t n t^{n} のみから得られることがわかります。( a 11 − t ) ( a 22 − t ) ⋯ ( a n n − t ) (a_{11} - t) (a_{22} - t) \cdots (a_{nn} - t) - 同様に、
のt t 次の項(( n − 1 ) (n-1) )も、対角成分の積t n − 1 t^{n-1} のみからしか得られないことがわかります。( a 11 − t ) ( a 22 − t ) ⋯ ( a n n − t ) (a_{11} - t) (a_{22} - t) \cdots (a_{nn} - t) このことは、行列式の定義から導かれる考察であり、次のように確かめられます。
正方行列
の行列式は、次の通りです(行列式の定義)。A A ∣ A ∣ = ∑ σ ∈ S n sgn ( σ ) a 1 σ ( 1 ) ⋯ a n σ ( n ) \begin{gather*} \big\lvert \, A \, \big\rvert = \sum_{\sigma \, \in \, S_n} \text{sgn} (\sigma) \; a_{1 \sigma(1)} \cdots a_{n \sigma(n)} \end{gather*} つまり、
の行列式とは、A A の各行、列からA A つずつ成分を取り出したものの積に、成分の取り出し方により定まる置換の符号(1 1 または+ 1 +1 )を掛けたものの和です。− 1 -1 成分の取り出し方を決める置換
はσ \sigma 個の要素の順列に等しいので、どの行、列についても漏れなく被りなく成分を取り出す必要があります。言い換えれば、同じ行や列からn n つの成分をとらず、また、成分がとられない行や列もないようにする必要があります。2 2 したがって、
の行列式を求める際、例えば、A − t E A - t E 行目から1 1 を取り出したとすると、a 12 a_{12} 行目からは2 2 列目の成分2 2 を除いた、a 22 − t a_{22} - t もしくはa 21 a_{21} から成分を取り出す必要があります。a 23 , ⋯ , a 2 n a_{23}, \cdots, a_{2n} ∣ a 11 − t a 12 ⋯ t t a 1 n t t a 21 a 22 − t ⋯ t t a 2 n t t ⋮ a n 1 ⋮ a n 2 ⋱ ⋮ ⋯ a n n − t ∣ \begin{vmatrix} \; a_{11} - t & \fbox{ } & \begin{array} {cc} \cdots & \phantom{tt} a_{1n} \phantom{tt} \end{array} \; \\ \; \fbox{a 12 \begin{array} {c} a_{12} \end{array} } & a_{22} - t & \fbox{a 21 \begin{array} {c} a_{21} \end{array} } \; \\ \; \begin{array} {c} \vdots \\ a_{n1} \end{array} & \begin{array} {c} \vdots \\ a_{n2} \end{array} & \begin{array} {cc} \ddots & \vdots \\ \cdots & a_{nn} - t \end{array} \; \\ \end{vmatrix}⋯ t t a 2 n t t \begin{array} {cc} \cdots & \phantom{tt} a_{2n} \phantom{tt} \end{array} よって、
のt t 次の項とn n 次の項は対角成分の積のみから得られ、対角成分の積以外の項は、高々( n − 1 ) (n-1) 次以下の項しか含まないことがわかります。( n − 2 ) (n-2)
- したがって、対角成分の積以外の項をまとめて
とおくと、(ψ A ( t ) \psi_{A} (t) )式は更に次のようになります。∗ \ast ϕ A ( t ) = ( a 11 − t ) ( a 22 − t ) ⋯ ( a n n − t ) + ψ A ( t ) \begin{gather*} \phi_{A} (t) = (a_{11} - t) (a_{22} - t) \cdots (a_{nn} - t) + \psi_{A} (t) \end{gather*}
(2)各係数を求める
上記の考察から、
のϕ A ( t ) \phi_{A} (t) 次の係数とn n 次の係数を求めます。( n − 1 ) (n-1) のt t 次の項はn n の展開のみ現れます。したがって、その展開式を考えれば、( a 11 − t ) ( a 22 − t ) ⋯ ( a n n − t ) (a_{11} - t) (a_{22} - t) \cdots (a_{nn} - t) の係数がt n t^{n} に等しいことがわかります。( − 1 ) n (-1)^{n} - 同様に、
のt t 次の項も( n − 1 ) (n-1) の展開にのみ現れます。展開式を考えると( a 11 − t ) ( a 22 − t ) ⋯ ( a n n − t ) (a_{11} - t) (a_{22} - t) \cdots (a_{nn} - t) の係数は次のようになります。t n − 1 t^{n-1} ( − 1 ) n − 1 ( a 11 + a 22 + ⋯ + a n n ) = ( − 1 ) n − 1 tr A (-1)^{n-1} (a_{11} + a_{22} + \cdots + a_{nn}) = (-1)^{n-1} \, \text{tr} A
にϕ A ( t ) \phi_{A} (t) を代入することで、定数項を求めます。t = 0 t = 0 - (6.2.4)式において、
が成り立ちます。ψ A ( 0 ) = a 0 \psi_{A} (0) = a_{0} - 一方で、
においてϕ A ( t ) = ∣ A − t E ∣ \phi_{A} (t) = \big\lvert \, A - t E \, \big\rvert とすると、t = 0 t = 0 が成り立ちます。ψ A ( 0 ) = ∣ A − 0 E ∣ = ∣ A ∣ \psi_{A} (0) = \big\lvert \, A - 0 E \, \big\rvert = \big\lvert \, A \, \big\rvert - したがって、
が成り立ちます。a 0 = ∣ A ∣ a_{0} = \big\lvert \, A \, \big\rvert
- (6.2.4)式において、
まとめ
正方行列
に対して、その対角成分の和をA A のトレース(A A )といい、trace \text{trace} と表す。tr A \text{tr} A A = ( a 11 a 12 ⋯ a 1 n a 21 a 22 ⋯ a 2 n ⋮ ⋮ ⋱ ⋮ a n 1 a n 2 ⋯ a n n ) , tr A = a 11 + a 22 + ⋯ + a n n \begin{gather*} A = \begin{pmatrix} \, a_{11} & a_{12} & \cdots & a_{1n} \, \\ \, a_{21} & a_{22} & \cdots & a_{2n} \, \\ \, \vdots & \vdots & \ddots & \vdots \, \\ \, a_{n1} & a_{n2} & \cdots & a_{nn} \, \\ \end{pmatrix} \, , \\ \\ \text{tr} A = a_{11} + a_{22} + \cdots + a_{nn} \end{gather*} をA A 次の正方行列として、n n の固有多項式A A の係数について、次が成り立つ。ϕ A ( t ) \phi_{A} (t) ϕ A ( t ) = a n t n + a n − 1 t n − 1 + ⋯ + a 0 , { a n = ( − 1 ) n a n − 1 = ( − 1 ) n − 1 tr A a 0 = ∣ A ∣ \begin{gather*} \phi_{A} (t) = a_{n} \, t^{n} + a_{n-1} \, t^{n-1} + \cdots + a_{0} \, , \\ \\ \left\{ \; \begin{align*} a_{n} &= (-1)^{n} \\ a_{n-1} &= (-1)^{n-1} \, \text{tr} A\\ a_{0} &= \lvert \, A \, \rvert \\ \end{align*} \right. \end{gather*}
参考文献
[1] 齋藤正彦. 線型代数入門. 東京大学出版会. 1966.
[2] 永田雅宣 他. 理系のための線型代数の基礎. 紀伊國屋書店. 1986.
[3] 川久保勝夫. 線形代数学 [新装版]. 日本評論社. 2010.
[4] 松坂和夫. 線型代数入門 [新装版]. 岩波書店. 2018.
[5] 三宅敏恒. 線形代数学 初歩からジョルダン標準形へ. 培風館. 2008.
[6] S. Lang. Linear Algebra Third Edition. Springer. 1987.
[7] T. Miyake. Linear Algebra From the Beginnings to the Jordan Normal. Springer. 2022.
[8] 雪江明彦. 代数学
[9] 雪江明彦. 代数学
[10] 桂利行. 代数学
[11] 松坂和夫. 代数系入門. 岩波書店. 1976.
[12] 高木貞治. 代数学講義 [改訂新版]. 共立出版. 1965.
[13] S. Lang. Algebra Revised Third Edition. Springer. 2002.
[14] M. Artin. Algebra Second Edition. Pearson Education Limited. 2014.
[15] 青本和彦 他. 数学入門辞典. 岩波書店. 2005.