部分空間の直和(2)
前項で定義した部分空間の直和に関して、ベクトル空間が部分空間の直和に分解される例をみます。
すなわち、$n$ 次の正方行列全体の集合はベクトル空間であり、対称行列全体の集合と交代行列全体の集合という $2$ つの部分空間の直和であることを確かめます。
また、補空間を定義し、任意の部分空間に対して補空間が存在することを示します。
直和の例
$n$ 次の正方行列全体の集合をベクトル空間としてみたとき、これが、対称行列全体の集合と交代行列全体の集合という $2$ つの部分空間の直和であることをみていきます。
対称行列と交代行列
まず、$n$ 次の正方行列全体の集合がベクトル空間であることを確かめます。ベクトル空間の例でみたように、$(m, n)$ 型の行列全体の集合 $M_{m,n} (K)$ は、行列に関する和とスカラー倍の演算によりベクトル空間となります。ここで、零ベクトルは零行列 $O$、$A \in M_{m,n} (K)$ の逆ベクトルは $-A = (-1) A$ に対応しています。このようにすることで、$M_{m,n} (K)$ は(ベクトル空間の公理を満たす)和とスカラー倍が定義された集合、つまりベクトル空間となります。$n$ 次の正方行列は $(m, n)$ 型の行列の特別な場合($m = n$ の場合)ですので、当然、$n$ 次の正方行列全体の集合 $M_{n} (K)$ もベクトル空間となります。ここで、$V = M_{n} (K)$ とします。
次に、$n$ 次の正方行列全体の集合 $V$ の部分集合である、対称行列全体の集合と交代行列全体の集合が、それぞれ $V$ の部分空間であることを確かめます。対称行列とは、正方行列のうち ${}^{t} A = A$ が成り立つ行列のことでした(対称行列)。$A$ を対称行列とすれば、$A$ の成分について $a_{ji} = a_{ij}$ が成り立ちますので、$A$ の成分は対角線を軸に対称的であるといえます。また、交代行列とは、正方行列のうち ${}^{t} A = -A $ が成り立つ行列のことでした(交代行列)。$A$ を交代行列とすれば、$A$ の成分について $a_{ji} = - a_{ji}$ が成り立ちますので、$A$ の成分は転置により $-1$ 倍される(交代的である)というわけです。対称行列と交代行列が正方行列の部分集合であることは、その定義から明らかといえます。また、それぞれの集合が、和とスカラー倍の演算について閉じていることも簡単に確かめられます。したがって、対称行列全体の集合を $W_{1}$、交代行列全体の集合を $W_{2}$ とすると、$W_{1}, W_{2}$ はそれぞれ $V$ の部分空間となります。(部分空間の定義)
また、対称行列と交代行列の定義より、$W_{1} \cap W_{2} = \{ O \}$ であることは明らかといえます。仮に、正方行列 $A$ が対称行列かつ交代行列であるとすると、${}^{t} A = A$ かつ ${}^{t} A = -A$ であり $-A = A$ となることから $A = O$ が導かれます。したがって、対称行列かつ交代行列である行列は零行列のみです。つまり、$W_{1}$ と $W_{2}$ は零行列 $O$ のみを共有し、$W_{1} \cap W_{2} = \{ O \}$ が成り立ちます。
ここまでを整理すると、$V$ はベクトル空間、$W_{1}, W_{2}$ は $V$ の部分空間であり、$W_{1} \cap W_{2} = \{ O \}$ が成り立ちます。したがって、$V$ が $W_{1}$ と $W_{2}$ の和空間であれば、定理 4.38(部分空間の直和)より、$V$ は $W_{1}$ と $W_{2}$ の直和となるということがわかります。そこで、$V$ が $W_{1}$ と $W_{2}$ の和空間あることを確かめます。任意の正方行列 $A \in V$ に対し て、$B_{1} = \frac{1}{2} (A + {}^{t} A), \; B_{2} = \frac{1}{2} (A - {}^{t} A)$ とすると、次のとおり、$B_{1}$ は対称行列であり $B_{2}$ は交代行列となります。すなわち、$B_{1} \in W_{1}$ かつ $B_{2} \in W_{2}$ です。
またこのとき、任意の $A \in V$ に対して $A = B_{1} + B_{2}$ が成り立ちます。
任意の正方行列($V$ の元)は対称行列($W_{1}$ の元)と交代行列($W_{2}$ の元)の和として表されるので、$V$ は $W_{1}$ と $W_{2}$ の和空間であるといえます。すなわち、$M_{n} (K) = W_{1} + W_{2}$ となります。以上から、$V = W_{1} + W_{2}$ かつ $W_{1} \cap W_{2} = \{ O \}$ なので、定理 4.38(部分空間の直和)より、$V$ は $W_{1}$ と $W_{2}$ の直和であり、$V = W_{1} \oplus W_{2}$ が成り立ちます。
用語
上の例のような場合、$V$ は $W_{1}$ と $W_{2}$ の直和に分解される分解されるといい、ベクトル空間をその部分空間の直和に分解することを直和分解($\text{direct}$ $\text{sum}$ $\text{decomposition}$)といいます。また、$V = W_{1} \oplus W_{2}$ であるとき、$W_{1}$ を $V$ における $W_{2}$ の補空間($\text{complementary}$ $\text{space}$)であるといいます。
補空間の存在定理
定理 4.39(補空間)
$U$ をベクトル空間、$V$ を $U$ の部分空間とすると、$U = V \oplus W$ となるような $U$ の部分空間 $W$ が存在する。
定理の主張において、$V$ はベクトル空間 $U$ の部分空間であるということ以外に、$V$ について特別な条件は設けられておりません。したがって、この定理は、あるベクトル空間において、任意の部分空間に対して補空間が存在するということを意味しています。すなわち、$U$ の任意の部分空間 $V$ に対して、部分空間 $W$ が存在して $U = V \oplus W$ であるということと理解できます。
また、この定理は補空間の存在を担保していますが、部分空間 $V$ に対して補空間 $W$ が一意に定まるわけではありません。これは、ベクトル空間の基底が一意的でない(基底を成すベクトルの数は一意であるが、基底をなすベクトルのとり方は幾通りもある)ことによります。
証明
$V$ の基底を $\bm{v}_{1}, \cdots, \bm{v}_{m}$ とすると、定理 4.33より、これを拡大して $U$ の基底を得ることができる。$U$ の基底を $\bm{v}_{1}, \cdots, \bm{v}_{m}, \bm{w}_{1}, \cdots, \bm{w}_{n}$ として、$\bm{w}_{1}, \cdots, \bm{w}_{n}$ が生成する部分空間を $W$ とすると、$U = V + W$ かつ $V \cap W = \{ \bm{0} \}$ であるから、$U = V \oplus W$ となる。$\quad \square$
証明の骨子
定理 4.33(線型独立なベクトルと基底)より、$V$ の基底を拡大して $U$ の基底を得ます。$U$ の基底として追加された元が生成する部分空間を $W$ とすれば、定理 4.38(部分空間の直和)より、$U = V \oplus W$ が導かれます。
$V$ の基底を拡大して $U$ の基底を得ます。
- $V$ の基底を $\bm{v}_{1}, \cdots, \bm{v}_{m}$ とします。$V$ は $U$ の部分空間であるので、$\bm{v}_{1}, \cdots, \bm{v}_{m}$ は $U$ の元であり、かつ線型独立です。
- したがって、定理 4.33(線型独立なベクトルと基底)より、これを拡大して $U$ の基底を得ることができます。これを $\bm{v}_{1}, \cdots, \bm{v}_{m}, \bm{w}_{1}, \cdots, \bm{w}_{n}$ とします。
$U = V \oplus W$ となる部分空間 $W$ が存在することを示します。
- $U$ の基底をなすベクトルのうち、$\bm{w}_{1}, \cdots, \bm{w}_{n}$ が生成する部分空間を $W$ とします。すなわち、$W = \langle \bm{w}_{1}, \cdots, \bm{w}_{n} \rangle$ となります。
- 和空間の定義より $V + W = \{ \, \bm{v} + \bm{w} \mid \bm{v} \in V, \; \bm{w} \in W \, \}$ であり、任意の $U$ の元は $V$ の元と $W$ の元の和として表せることから、$U = V + W$ となります。
- 仮定より、任意の $\bm{v} \in V$ は $\bm{v}_{1}, \cdots, \bm{v}_{m}$ の線型結合として表せ、任意の $\bm{w} \in W$ は $\bm{w}_{1}, \cdots, \bm{w}_{n}$ の線型結合として表せます。
- 同様に、任意の $U$ の元は $\bm{v}_{1}, \cdots, \bm{v}_{m}, \bm{w}_{1}, \cdots, \bm{w}_{n}$ の線型結合として表せますが、これは、$V$ の元 $\bm{v}$ と $W$ の元 $\bm{w}$ の和として表されるということに他なりません。
- また、$\bm{v}_{1}, \cdots, \bm{v}_{m}, \bm{w}_{1}, \cdots, \bm{w}_{n}$ が線型独立であることから、$V \cap W = \{ \bm{0} \}$ であるといえます。
- いま、$V = \langle \bm{v}_{1}, \cdots, \bm{v}_{m} \rangle, \; W = \langle \bm{w}_{1}, \cdots, \bm{w}_{n} \rangle$ であり、それぞれの生成元が線型独立なので、$V$ と $W$ は零ベクトル $\bm{0}$ のみを共有します。
- したがって、$U = V + W$ かつ $V \cap W = \{ \bm{0} \}$ であるので、定理 4.38(部分空間の直和)より、$U = V \oplus W$ となります。以上で題意が示されました。
まとめ
- $n$ 次の正方行列全体の集合は、対称行列全体の集合と交代行列全体の集合の直和である。
- あるベクトル空間において、任意の部分空間に対して補空間が存在する。
- $U$ をベクトル空間、$V$ を $U$ の部分空間とすると、$U = V \oplus W$ となるような $U$ の部分空間 $W$ が存在する。
- $U$ をベクトル空間、$V$ を $U$ の部分空間とすると、$U = V \oplus W$ となるような $U$ の部分空間 $W$ が存在する。
参考文献
[1] 齋藤正彦. 線型代数入門. 東京大学出版会. 1966.[2] 永田雅宣 他. 理系のための線型代数の基礎. 紀伊國屋書店. 1986.
[3] 川久保勝夫. 線形代数学 [新装版]. 日本評論社. 2010.
[4] 松坂和夫. 線型代数入門 [新装版]. 岩波書店. 2018.
[5] S. Lang. Linear Algebra Third Edition. Springer. 1987.
[6] 雪江明彦. 代数学 $1$ 群論入門. 日本評論社. 2010.
[7] 雪江明彦. 代数学 $2$ 環と体とガロア理論. 日本評論社. 2010.
[8] 桂利行. 代数学 $\text{I}$ 群と環. 東京大学出版会. 2004.
[9] 松坂和夫. 代数系入門. 岩波書店. 1976.
[10] 高木貞治. 代数学講義 [改訂新版]. 共立出版. 1965.
[11] S. Lang. Algebra Revised Third Edition. Springer. 2005.
[12] M. Artin. Algebra Second Edition. Pearson Education Limited. 2014.
[13] 青本和彦 他. 数学入門辞典. 岩波書店. 2005.