部分空間の直和(2)
ベクトル空間の直和分解の例を示します。すなわち、n 次の正方行列全体はベクトル空間であり、対称行列全体と交代行列全体という 2 つの部分空間の直和に分解されます。
また、補空間を定義し、任意の部分空間に対して補空間が存在することを示します。
ベクトル空間の直和分解(例)#
まず、直和分解の定義を確認し、ベクトル空間が部分空間の直和に分解される具体例を示します。
直和分解とは#
前項に定義したように、ベクトル空間 V が、その部分空間 W1 と W2 の直和(direct sum)に等しくなるとき、V は W1 と W2 の直和に分解される分解されるといい、ベクトル空間をその部分空間の直和に分解することを直和分解(direct sum decomposition)といいます。
V=W1⊕W2(4.4.4) 直和の定義より、V が W1 と W2 の直和に分解されるとき、任意の V の元は W1 の元と W2 の元の和として一意に表すことができます。
正方行列全体の直和分解#
n 次の正方行列全体の集合 Mn(K) をベクトル空間としてみたとき、これは、対称行列全体 W1 と交代行列全体 W2 という、2 つの部分空間の直和に分解されます。
Mn(K)=W1⊕W2 以下に、上式が成り立つことを確かめます。
正方行列全体の集合はベクトル空間#
まず、n 次の正方行列全体の集合 Mn(K) がベクトル空間であることを確かめます。
ベクトル空間の例でみたように、一般に、(m,n) 型の行列全体の集合 Mm,n(K) は、行列の和とスカラー倍の演算により、ベクトル空間となります。ここで、零ベクトルは零行列 O、A∈Mm,n(K) の逆ベクトルは −A=(−1)A に対応しています。
n 次の正方行列は (m,n) 型の行列の特別な場合(m=n の場合)ですので、当然、n 次の正方行列全体の集合 Mn(K) もベクトル空間となります。
対称行列全体と交代行列全体は部分空間#
次に、n 次の正方行列全体の集合 Mn(K) の部分集合である、対称行列全体の集合と交代行列全体の集合が、それぞれ Mn(K) の部分空間であることを確かめます。
対象行列とは#
対称行列とは、正方行列のうち tA=A が成り立つ行列のことでした(対称行列の定義)。A を対称行列とすれば、A の成分について aji=aij が成り立ちます。したがって、A の成分は対角線を軸に対称的であるといえます。
交代行列とは#
また、交代行列とは、正方行列のうち tA=−A が成り立つ行列のことでした(交代行列の定義)。A を交代行列とすれば、A の成分について aji=−aji が成り立ちます。したがって、A の成分は転置により −1 倍される(交代的である)というわけです。
部分空間であることの確認#
対称行列と交代行列が正方行列の部分集合であることは、それぞれの定義から明らかです。
また、それぞれの集合が、和とスカラー倍の演算について閉じていることも、行列の和とスカラー倍の演算の定義から、簡単に確かめられます。
したがって、対称行列全体の集合 W1 と、交代行列全体の集合 W2 は、それぞれ、正方行列全体の集合 Mn(K) の部分空間であるといえます(部分空間の定義)。
対称行列全体と交代行列全体は零行列のみを共有する#
また、対称行列と交代行列の定義より、W1∩W2={O} であることは明らかといえます。
仮に、正方行列 A が対称行列かつ交代行列であるとすると、tA=A かつ tA=−A であり −A=A となることから A=O が導かれます。
したがって、対称行列かつ交代行列である行列は零行列のみです。つまり、W1 と W2 は零行列 O のみを共有し、W1∩W2={O} が成り立ちます。
対称行列全体と交代行列全体の直和#
ここまでを整理すると、Mn(K) はベクトル空間、W1,W2 は Mn(K) の部分空間であり、W1∩W2={O} が成り立ちます。
したがって、Mn(K) が W1 と W2 の和空間であれば、定理 4.38(部分空間の直和)より、Mn(K) は W1 と W2 の直和となるということがわかります。
対称行列全体と交代行列全体の和空間#
そこで、Mn(K) が W1 と W2 の和空間あることを確かめます。
任意の正方行列 A∈Mn(K) に対し て、B1=21(A+tA),B2=21(A−tA) とすると、次が成り立ちます(定理 2.3(転置行列))。
tB1tB2=21{tA+t(tA)}=21(tA+A)=B1=21{tA−t(tA)}=21(tA−A)=−B2 つまり、B1 は対称行列、B2 は交代行列であるということです。また、このとき、B1 と B2 の和について、次が成り立ちます。
B1+B2=21(A+tA)+21(A−tA)=A
すなわち、任意の A∈Mn(K) に対して、A=B1+B2 を満たす、B1∈W1 と B2∈W2 が存在するということです。
よって、Mn(K) は W1 と W2 の和空間であり、Mn(K)=W1+W2 が成り立ちます(和空間の定義)。
正方行列全体は直和に分解される#
上記の考察より、Mn(K)=W1+W2 、かつ、W1∩W2={O} が成り立ちます。したがって、定理 4.38(部分空間の直和)より、Mn(K) は W1 と W2 の直和であり、Mn(K)=W1⊕W2 が成り立ちます。
以上から、n 次の正方行列全体 Mn(K) が、対称行列全体 W1 と交代行列全体 W2 の直和に分解されることが確かめられました。
補空間の存在#
次に、補空間を定義するとともに、任意の部分空間に対して補空間が存在することを示します。
定理 4.39(補空間)#
U をベクトル空間、V を U の部分空間とすると、U=V⊕W となるような U の部分空間 W が存在する。
補空間とは#
定理 4.39(補空間)において、W を V の補空間(complementary space)といいます。
すなわち、ベクトル空間 U が部分空間 V と W の直和に分解されるとき、W は V の補空間となります。また、明らかに、V は W の補空間となります。
任意の部分空間に補空間が存在する#
定理 4.39(補空間)は、任意の部分空間に対して、その補空間が存在することを示しています。
ベクトル空間 U の部分空間であるということ以外に、V について特別な条件は設けられておりません。したがって、定理 4.39は、あるベクトル空間の 任意の 部分空間に対して補空間が存在するということを意味しています。
補空間は一意に定まらない#
部分空間 V に対して、その補空間 W は一意に定まりません。
これは、ベクトル空間の基底が一意的でない(基底を成すベクトルの数は一意であるが、基底をなすベクトルのとり方は幾通りもある)ことによります。
例えば、ベクトルの組 {v1,⋯,vm,w1,⋯,wn} と {v1,⋯,vm,w1′,⋯,wn′} が、ともに U の基底であるとします。このとき、U は、次のように 2 通りに直和分解できます。
U=⟨v1,⋯,vm⟩⊕⟨w1,⋯,wn⟩=⟨v1,⋯,vm⟩⊕⟨w1′,⋯,wn′⟩ ここで、U の部分空間 V,W,W′ を次のようにおくと、
VWW′=⟨v1,⋯,vm⟩,=⟨w1,⋯,wn⟩,=⟨w1′,⋯,wn′⟩ U=V⊕W かつ U=V⊕W′ が成り立ちます。したがって、W と W′ は、ともに V の補空間となります。
V の基底を v1,⋯,vm とすると、定理 4.33(線型独立なベクトルと基底)より、これを拡大して U の基底を得ることができる。U の基底を v1,⋯,vm,w1,⋯,wn として、w1,⋯,wn が生成する部分空間を W とすると、U=V+W かつ V∩W={0} であるから、U=V⊕W となる。□
証明の考え方#
定理 4.33(線型独立なベクトルと基底)より、(1)V の基底を拡大して U の基底が得られます。(2)U の基底として追加された元が生成する部分空間を W とすれば、定理 4.38(部分空間の直和)より、U=V⊕W が導かれます。
(1)U の基底の構築#
- まず、V の基底を拡大して U の基底を作ります。
- V の基底を v1,⋯,vm とすると、V は U の部分空間であるので、v1,⋯,vm は U の元であり、かつ線型独立です。
- したがって、定理 4.33(線型独立なベクトルと基底)より、v1,⋯,vm を拡大して U の基底を得ることができます。
- いま、v1,⋯,vm,w1,⋯,wn を U の基底であるとします。
(2)補空間 W が存在することの証明#
次に、U=V⊕W となる部分空間 W が存在することを示します。
U の基底をなすベクトルのうち、w1,⋯,wn が生成する部分空間を W とします。
- すなわち、W=⟨w1,⋯,wn⟩ とします。
和空間の定義より、V+W={v+w∣v∈V,w∈W} であり、任意の U の元は V の元と W の元の和として表せることから、U=V+W となります。
- 仮定より、任意の v∈V は v1,⋯,vm の線型結合として表せ、任意の w∈W は w1,⋯,wn の線型結合として表せます。
- 同様に、任意の U の元は v1,⋯,vm,w1,⋯,wn の線型結合として表せます。
- これは、任意の U の元が、V の元 v と W の元 w の和として表されるということに他なりません。
また、v1,⋯,vm,w1,⋯,wn が線型独立であることから、V∩W={0} が成り立ちます。
- いま、V=⟨v1,⋯,vm⟩, W=⟨w1,⋯,wn⟩ であり、それぞれの生成元が線型独立なので、V と W は零ベクトル 0 のみを共有します。
以上から、U=V+W かつ V∩W={0} であるので、定理 4.38(部分空間の直和)より、U=V⊕W となります。
まとめ#
[1] 齋藤正彦. 線型代数入門. 東京大学出版会. 1966.
[2] 永田雅宣 他. 理系のための線型代数の基礎. 紀伊國屋書店. 1986.
[3] 川久保勝夫. 線形代数学 [新装版]. 日本評論社. 2010.
[4] 松坂和夫. 線型代数入門 [新装版]. 岩波書店. 2018.
[5] 三宅敏恒. 線形代数学 初歩からジョルダン標準形へ. 培風館. 2008.
[6] S. Lang. Linear Algebra Third Edition. Springer. 1987.
[7] T. Miyake. Linear Algebra From the Beginnings to the Jordan Normal. Springer. 2022.
[8] 雪江明彦. 代数学 1 群論入門. 日本評論社. 2010.
[9] 雪江明彦. 代数学 2 環と体とガロア理論. 日本評論社. 2010.
[10] 桂利行. 代数学 I 群と環. 東京大学出版会. 2004.
[11] 松坂和夫. 代数系入門. 岩波書店. 1976.
[12] 高木貞治. 代数学講義 [改訂新版]. 共立出版. 1965.
[13] S. Lang. Algebra Revised Third Edition. Springer. 2002.
[14] M. Artin. Algebra Second Edition. Pearson Education Limited. 2014.
[15] 青本和彦 他. 数学入門辞典. 岩波書店. 2005.
初版:2023-03-21 | 改訂:2025-03-14