基本変形と基本行列
基本行列とは、行列の基本変形の各操作に対応する正方行列です。
ある行列 A に対して基本変形を行うことは、対応する基本行列を A に掛けることに等しくなります。すなわち、基本変形が施された行列は、もとの行列といくつかの基本行列の積として表すことができます。
基本行列の定義#
まず、行列の基本変形の各操作に対応する基本行列を示します。
定義 5.2(基本行列)#
次の正方行列を、基本行列(elementary matrix)という。
基本行列とは:基本変形に対応する行列#
基本行列とは、行列の基本変形の各操作に対応する正方行列です。
上記に示す基本行列(1)∼(3)は、それぞれ、次の基本変形に対応しています。
基本行列(1)Pn(i;c)#
1 つ目の基本行列は、ある行(または列)を c 倍するという基本変形に対応する行列です。i 行目(または i 列目)を c 倍することから、Pn(i;c) などと表します。
Pn(i;c) は、n 次の単位行列 En の (i,i) 成分を c で置き換えた行列であり、非対角成分はすべて 0 となります。
基本行列(2)Pn(i,j;c)#
2 つ目の基本行列は、ある行(または列)を c 倍して他の行(または列)に加えるいう基本変形に対応する行列です。Pn(i,j;c) などと表し、j 行目を c 倍して i 行目に加える(もしくは i 列目を c 倍して j 列目に加える)操作に対応します。
Pn(i,j;c) は、n 次の単位行列 En の (i,j) 成分を c で置き換えた行列です。定義より i=j であるので、Pn(i,j;c) の対角成分はすべて 1 で、(i,j) 成分以外の非対角成分はすべて 0 となります。
仮に i=j とすると、(2)Pn(i,j;c) は(1)Pn(i;c) と同じになります。そのため、i=j という条件を設けて、重複した定義を避けています。
基本行列(3)Pn(i,j)#
3 つ目の基本行列は、2 つの行(または列)を入れ替えるという基本変形に対応する行列です。i 行目と j 行目(もしくは i 列目と j 列目)を入れ替えることから、Pn(i,j) などと表します。
Pn(i,j) は、n 次の単位行列 En の第 i 行と第 j 行を入れ替えた行列です(En の第 i 列と第 j 列を入れ替えても同じ行列が得られます)。したがって、(i,j) 成分と (j,i) 成分はともに 1 であり、それ以外の非対角成分はすべて 0 となります。
ここでも、定義において i=j という条件が設けられています。仮に i=j とすると、(3)Pn(i,i) は単位行列 En そのものであり、これは与えられた行列に何もしないという操作に対応するため、定義から除かれています。
基本行列の必要条件(正方行列であること)#
基本行列は、定義より正方行列です。これは、基本行列の積が基本変形を表すための必要条件です。
仮に、A を (m,n) 型の行列とすれば、A に対して基本変形の操作を何度行っても行列の型は変わらず (m,n) 型である必要があります(基本変形の定義)。したがって、行列の積の演算規則により、A の型を変えないためには、基本行列は正方行列である必要があります。
基本変形との対応#
次に、ある行列 A に対して基本変形を行うことが、対応する基本行列を A に掛けることに等しいことを示します。
定理 5.8(基本変形と基本行列の対応)#
A を (m,n) 型行列とする。A に対する行基本変形は、A に対して m 次の基本行列を左から掛けることに等しい。また、A に対する列基本変形は、A に対して n 次の基本行列を右から掛けることに等しい。
基本変形と基本行列の対応#
1 つの基本行列が、行基本変形と列基本変形のどちらにも対応しています。基本行列を左から掛けることが行基本変形に、右から掛けることが列基本変形に、それぞれ対応しています。
例えば、ある行列 A に対して、Pm(i;c)(行または列を c 倍する基本行列)を左から掛ければ A の i 行目が c 倍され、Pn(i;c) を右から掛ければ A の i 列目が c 倍される、といった具合です。
行列の基本変形は 6 つの操作からなります(基本変形の定義)。これに対して、基本行列が 3 つしかないのは、このためです。
基本行列の型#
このため、基本変形の対象となる行列 A を (m,n) 型行列とすると、行基本変形(左から掛ける)に対応する基本行列は m 次の正方行列であり、列基本変形(右から掛ける)に対応する基本行列は n 次の正方行列である必要があります。これは、行列の積の演算が成り立つために必要となる条件です。
(1)(m,n) 型行列 A に対して Pm(i;c) を左から掛けると A の第 i 行が c 倍される。これは、A に対して行基本変形(1)を行った結果に等しい。また、A に対して Pn(i;c) 右から掛けると A の第 i 列が c 倍される。これは、列基本変形(1′)に対応する。
(2)A に対して Pm(i,j;c) を左から掛けると A の第 i 行に第 j 行の c 倍が加わる。これは、行基本変形(2)に対応する。また、A に対して Pn(i,j;c) 右から掛けると A の第 j 列に第 i 列のc 倍が加わる。これは、列基本変形(2′)に対応する。
(3)A に対して Pm(i,j) を左から掛けると A の第 i 行と第 j 行が入れ替わる。これは、行基本変形(3)に対応する。また、A に対して Pn(i,j) 右から掛けると A の第 i 列と第 j 列が入れ替わる。これは、列基本変形(3′)に対応する。□
証明の考え方#
基本行列の定義から明らかといえます。
- 具体的には、行列の積の演算規則にしたがって行列の積を求めることで確かめられます。
- A は (m,n) 型行列であるので、基本行列は、左から掛ける場合 m 次の正方行列であり、右から掛ける場合 n 次の正方行列となります。
前提事項の整理(証明の準備)#
- A の行ベクトルを a1′,⋯,am′、列ベクトルを a1,⋯,an とします。
- このとき、A は、行ベクトルまたは列ベクトルを用いて、次のように表すことができます。
A=a1′⋮am′=(a1,⋯,an)
基本行列(1)について#
A に左から基本行列(1)Pn(i;c) を掛けた場合、行列の積は次のように表せます。
Pm(i;c)A=a1′⋮cai′⋮am′ また、A に右から基本行列(1)Pn(i;c) を掛けた場合、行列の積は次のようになります。
APn(i;c)=(a1,⋯,cai,⋯,an) これらは、A に対して、基本変形(1)、(1′)を行った結果に他なりません。
基本行列(2)について#
A に左から基本行列(2)Pn(i,j;c) を掛けた場合、行列の積は、次のように表せます。
Pm(i,j;c)A=a1′⋮ai′+caj′⋮aj′⋮am′ また、A に右から基本行列(2)Pn(i,j;c) を掛けた場合、行列の積は、次のようになります。
APn(i,j;c)=(a1,⋯,ai,⋯,cai+aj,⋯,an) 左から Pm(i,j;c) を掛けた場合、A の第 i 行が変わりますが、右から Pn(i,j;c) を掛けた場合、A の第 j 列が変わります。つまり、同じ基本行列であっても、左右どちらから掛けるかにより変化する行(または列)番号が異なります。
そこで、逆に A の第 j 行に第 i 行の c 倍を加えるような基本変形はどのような基本行列により表される考えます。
次の(2′)のような基本行列を考えれば、変化する行(または列)番号が入れ替わります。

すなわち、左から Pm(j,i;c) を掛けた場合、A の第 j 行に第 i 行の c 倍が加わりますが、右から Pn(j,i;c) を掛けた場合、A の第 i 列に第 j 列の c 倍が加わることになります。
Pm(j,i;c)A=a1′⋮ai′⋮cai′+aj′⋮am′,APn(j,i;c)=(a1,⋯,ai+caj,⋯,aj,⋯,an) 以上から、基本行列(2)が、すべての基本変形(2)と(2′)に対応していることがわかります。(行列(2′)と基本行列(2)は異なる行列のように見えますが、これらは本質的に同じものです。)
基本行列(3)について#
A に左から基本行列(3)Pn(i,j) を掛けた場合、行列の積は次のように表せます。
Pm(i,j)A=a1′⋮aj′⋮ai′⋮am′ また、A に右から基本行列(3)Pn(i,j) を掛けた場合、行列の積は次のようになります。
APn(i,j)=(a1,⋯,aj,⋯,ai,⋯,an) これらは、A に対して、基本変形(3)、(3′)を行った結果に他なりません。
まとめ#
行列に対する 6 つの基本変形は、3 つの基本行列により表される。
A を (m,n) 型行列とすると、
- A に対する行基本変形は、A に対して m 次の基本行列を左から掛けることに等しい。
- A に対する列基本変形は、A に対して n 次の基本行列を右から掛けることに等しい。
基本行列は正方行列である。
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初版:2023-06-30 | 改訂:2025-04-07